2024年6月25日 №538

2024年6月25日 №538

〈すべての核と中核的リーダーに訴える〉


 歴史的にみると、現代はコミュニティ社会前夜である。戦争や世界の大混乱はその表れである。混迷と激動の時代こそ原理原則に徹せよ。ここに打開の道がある。中核幹部は自然科学や社会科学の原理原則に確信をもち、勇気をもって前進しよう!

 

天体活動にもすべて核が存在し、社会科学では中心部(核)が生まれ、その核が運動を支配していく。「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なことはそれを変えることである」(マルクス)

 

今年、特に4月、5月は、アメリカと世界、そして日本でも、政権と国家を揺るがした重大な政治事件が発生した。開戦後、2年数か月が経過したウクライナ戦争は全く出口が見えず、そうした中で中東のイスラエルとハマスの戦争はとうとう泥沼化し、世界ではジェノサイド(集団虐殺)を許すなの声が高まった。実際、ガザ当局の発表だけでも死者数は3万5034人、負傷者7万8755人、がれきに埋もれた遺体は約1万人を超える。しかもその数は増えるばかりである。

 アメリカでは急速に学生運動が全国の大学を席巻し、「ジェノサイド(集団虐殺)を許すな」「戦争反対」の声にバイデン大統領と政権は包囲された。5月12日付の読売新聞が大きく取り上げたが、4月には「20人以上」の政府職員が、集団で抗議の辞職をするに至った。国務省アラビア語担当報道官のハラ・ラーリット氏は「米国の外交官になり、ジェノサイドで非難されるとは思いもしなかった」と心情を吐露したほどである。「今の政府には何を提案しても通らない」と、官僚たちは今までのキャリアを放棄してまで、辞職に打って出たのである。政権内の反乱である。「官僚は政治の技術者である」(マルクス)その官僚が今の米国では無力感と失望の中にあるという。アメリカでは政府の分裂と対立が起こり、帝国としての米国はいよいよ衰退し、破綻、崩壊を深めていることが明らかになった。

 日本はどうか。自民党の崩壊、「さよなら自民党」は明白である。裏金問題や政治とカネ問題、先般の3つの補欠選挙(4月28日)や、知事選挙、各種選挙で、全敗し、全く意気消沈である。国民の怒りは深く、支持率は低迷したままである。結果、岸田政権は解散総選挙も描けず、政権政党としての「威風」も喪失し、依然として自壊状況が続いている。これは日本だけの問題ではない。

資本主義の本家、イギリスも全く同じである。政権交代は避けられず、それも歴史的大敗が予測されている。ついに保守党のスナク首相は5月22日、支持率の回復をかけ、7月4日の解散総選挙を発表したのである。座して死を待つのか、それとも死中に活か、しかし決して成功しないであろう。

さて岸田政権はどうするのか。5月12日、都内のホテルで「輿石東元参院副議長の回顧録・出版パーティ」が開かれ、それに200人も集まり、14日付の産経新聞は「与野党の重鎮が、政権交代へ場外戦か」の見出しを付けて報道した。出席者からは岸田政権の支持率の低さや、政権交代を意識した発言が飛び出し、「盛会」だった、と新聞は書いた。

 

 自民党の麻生副総裁は、彼一流の話芸で、「泉先生あたりをしっかり指導していただき(政権交代)……」と冗談めかして祝辞を述べた。民主党の小沢一郎氏も出席し、「自民党の崩壊は近い。自民党はそっちのけにし、力を合わせて、政権交代、政権奪取」を訴えた。

 出版パーティという場ではあったが、最近の政界の雰囲気の一片を表している。全く与党にも野党にも明快な政権プランはなく、混迷である。小沢一郎氏はまだまだオーラを発している。

 それにしても、野党や反対勢力の側には権力奪取の準備もなければ、その決断も勇気もない。如何に自民党が破綻したと言っても反対勢力が力を持たねば権力は自然には倒れるものではない。それでも歴史は転換を求めてやって来る。宇宙誕生の歴史がそうであったように社会科学の世界でも同じ事である。はっきりしていることは歴史は前へ前へと進む。ここに科学法則がある。

その大転換は根本的転換であり、けっして「改良」に限定されたものではない。ブルジョアジーが作り上げた統治制度としての議会や選挙制度は統治能力を失い、崩壊してしまった。それは衆愚政治としての選挙や投票でなく、各地域や各分野に形成される評議会、協議会を通じて人民大衆の意見、意志をよく集約し、トップダウンとボトムアップの徹底の中で実現される。それが真の民主主義である。「トップとボトム」は二つの両側面である。どっちが主要な側面か、それはトップすなわち指導性であり、中核集団と核、リーダーの存在である。

今、歴史は、この根本的転換を求めている。これに応えるのが、核であり、中核幹部である。核たるリーダーは、自然科学と、社会科学の法則、その科学原理は一つであるをよく知らねばならない。歴史の大転換(コミュニティ社会)は迫りつつある。中核集団、革命集団の存在が決定的

 

である。われわれの存在感は、旗手としての歴史的役割である。日本も根本的転換を求めて、変わらねばならない。われわれ、中核的リーダーが問われている。

 

『変わらないために変わり続ける』(自然科学者・福岡伸一著、文藝春秋社刊)という自然科学の運動法則は人類世界にも貫徹されていることを知らねばならない。万物は一貫して変わり続けつつ、永遠なのである。

 

 福岡伸一氏(青山学院大学教授・生物学者)は右の著作とあわせて『生命はいつ、どこで、どのように生まれたのか』(集英社インタナショナル刊)や、『芸術と科学のあいだ』(2014年8月17日付日本経済新聞)などの一文で、人類世界の運動について、自然科学の法則を説き続けている。それはビッグバンによって生まれたこの大宇宙は内在するエネルギーの運動によって永遠に動き続く。この運動こそが万物の母であり、あらゆる存在は運動の産物である。運動なくして存在はなく、存在とは運動である、と説く。

 その運動するあらゆるものは、互いに関連しつつ、結びつき対立し、一つになり、そして遠心力と求心力が働き、互いに連続し、絡み合いながら、すべて継続されていく。運動と連続、らせん的な継続、そして成長と交代、死滅と生成、すべては変わらないために変わり続ける、という。

 この宇宙は永遠に運動するため古い宇宙は死滅し、新しい宇宙が生まれる。すべての星は古いものは死滅し、新しい星が生まれる。植物も、動物も、人間も、古く老いたるものは死滅し、新しいものに変わる。永遠であるために変わらねばならない。福岡伸一教授はこの運動を「リスペクト」と呼ぶ。まさにリスペクト、何という気高くも尊厳的であることか。この大自然の法則がわかるか、わからないか、ここに、知性主義か、反知性主義かの分かれ道があるのである。

 

 

 

エンゲルスの名著『自然弁証法』を学べ。

 

 

 

エンゲルスは名著『自然弁証法』(1875―1876)の中で次のように説いている。

 

「(ダーウインの進化論によって)無機的自然と有機的自然とをわかつ溝は最小限にまで縮小され、生物の進化論にそれまで対立していたもっとも本質的な難点の一つが取り除かれた。新しい自然観はその根本的な点において完成した。いっさいの硬化したものは解消され、いっさいの固定したものは消滅し、永久的なものとされていたいっさいの特殊なものは一時的なものとなり、全自然は永遠の流転と循環とのなかで運動することが証明されたからである。

 

 こうしてわれわれは再び、全自然は、最小のものから最大のものに至るまで、砂粒から太陽に至るまで、原生生物から人類に至るまで、すべて永遠の生成と消滅、たえまない流転、やすみなき運動と変化の中に存在するという、かのギリシャ哲学の偉大な創始者たちの見方に立ち戻ったわけである」と。

 

 

 

万物を支配するエネルギーの運動法則がわが宇宙を生み出した。ビッグバン宇宙とは何か。

 

 

 イギリスの科学ジャーナリストであるクリストファー・ロイド氏が『一三七億年の物語―宇宙がはじまってから今日までの全歴史―』という大著を発表(日本では二〇一二年九月、文藝春秋社から刊行)。世界的なベストセラーになった。この著作は氏の見解を述べたものではなく、宇宙科学に関する世界的科学者たちが現段階に到達した統一見解を整理し、まとめたものである。だからここに現代の宇宙論の到達点があるのである。

 

 その内容を全部紹介するのは不可能なので、ここでは新しい世界としての宇宙を生み出した決定的瞬間たるビックバンはどのようにして実現されたのかを、原文にもとづいて紹介したい。現代物理学が到達した結論は次の通りである。

 「太陽は、太陽系の惑星をすべてあわせたより一〇〇〇倍も大きい。…銀河系には、太陽と同じような恒星が二〇〇〇億個もある。…この宇宙に銀河はおよそ一二五〇億個もある。…それらをすべてひとまとめにして、ぐいぐい圧縮していく。…最期はアルファベットのiの上の点より小さくなる。…宇宙の原初の姿、科学者たちが特異点と呼ぶものである。この非常に小さく、とてつもなく重く、とてつもなく密度の高い点は、内側に閉じ込めたエネルギーの圧力に耐えきれず、一三七億年前に途方もないことをしでかした。爆発したのである。並の爆発ではない。壮大な爆発、空前絶後の大爆発。すなわちビッグバンだ。…宇宙は目に見えないほど小さな点から、この地球はもとより、今私たちが見ているすべての星を作るもとに必要なものが存在する空間へと拡がったのである。…ではなぜ科学者たちは、そのようなとてつもないできごとが起きたと信じているのだろう。だれが目撃するはずない、遠い過去のことなのだ。当然ながら今でも少なからぬ人たちがビッグバンという考え方事態を疑っている。しかし大方の科学者はそれが起きたことを認めている。彼らに言わせれば、証拠はそこかしこにいくらでもあるからだ」と。

(注:最新の研究では、宇宙の始まりは138億年前、超高温・超高密度の火の玉「ビッグバン」の急膨張により誕生した、とされている)

 

歴史を転換させた哲学・科学的法則のモデルたるビッグバンから学ぶべきその原理。

 

(一)エネルギーの運動法則が生み出す遠心力と求心力(対立物

 

 

 



の統一)の相互作用がビッグバンを引き起こした。その起爆剤が運動の核に集中した求心力である。

(二)求心力は運動の目的である必然性(古いものを破壊して新しいものを作る)をめざす核心への強化に作用する。

(三)法則として遠心力は最後に消滅する。反対に求心力は必然性をめざす核に向かって強力に作用する。

(四)遠心力の消滅、求心力の拡大、という相互作用が深まる特異点が爆発を引き起こし、相転移を実現させる。

(五)結局、すべては核であり、核なしの運動はあり得ない。そして核もまたエネルギーの運動法則の産物である。

 

ビッグバン宇宙が物質世界を作り出した。

 

 ビッグバン(大爆発)の当初は高度な熱世界であり、多数の粒子が飛び交う世界であった。そのうちに陽子と中性子というまったく異質の二つの粒子が結合したまま離れなくなり、こうして原子核が形成。そのまわりに電子(粒子)が結合、こうして物質としての原子が形成。原子が色々な粒子と結びついて元素となり、現代世界(物質世界)が形成された。太陽は中心に水素核があり、地球には核としてのコア(鉄とニッケル)があり、六〇兆個の人間細胞にもみな細胞核があり、核なしの物質はあり得ない。

 天体活動にもすべて核が存在し、社会科学では中心部(核)が生まれ、その核が運動を支配していく。核抜きの運動はあり得ない。

 

横山順一著、『輪廻(りんね)する宇宙』(講談社刊)

 

 

  東大、ビッグバン宇宙国際研究センター教授・横山順一氏は右著作の中で次のように言う。

 宇宙はエネルギーに満ちている。エネルギーが宇宙を揺り動かしている。

宇宙は一つではない。たくさんの宇宙が互いに結びついて運動している。

 一つ一つの宇宙には始まりと終わりがあっても全体としての宇宙には始まりも終わりもない。

 こうして宇宙は生き変わり、死に変わり、車輪が果てしなく回るように永遠である、と。

 ここにもエンゲルスの『自然弁証法』の原理をみることができる。すべてはエネルギーの運動の中で存在しつづけるのである。

 

 結  語

 

 エンゲルスは『自然弁証法』(1875年)によって宇宙と万

 

 

 物を支配するエネルギーの運動法則の産物としての現代世界のあり方を解明した。

 マルクスはその著作『経済学批判・序言』(1859年)によって人類世界の歴史と未来展望について哲学・歴史科学的に解明した。 

哲学歴史科学観の核心はつぎの点にある。

 

 

第一、人類の歴史とその社会(国家と社会制度)のあり方を決定するのはエネルギーとしての生産力である。「生産力が生産関係を決定する」。生産力とは人間の労働能力であり、経済力が生産関係たる国家と社会のあり方を規定していく、ということである。

第二、生産力は常に前進し、発展していく。一ケ所で止まった時代は一つもない。これにもとづいて国家と社会も常に変化していった。原始時代―古代―中世―近世―そして現代という歴史過程を見ればはっきりしているのである。

 

 

第三、歴史は常に運動し、前進し、発展し、転換していく。一ケ所に止まっていることは絶対にない。現代資本主義はつぎの時代たるコミュニティー共同体から社会主義へと移行せざるを得ない。これは哲学歴史科学が進む必然の道である。

 

第四、哲学・歴史科学の運動法則が現在求めているのは、最大限の利益追求第一主義・物質万能主義と拝金主義・自由競争という名の弱肉強食・非人間的格差社会、という現代資本主義の否定である。

 

 そして人民の人民による人民のための世界・共同生産・共同分配・協力・共同・連帯の人間社会・大自然と共に生きる豊かな人間生活の実現を求めているのである。

   第五、現代資本主義は独占と帝国主義の時代、最高度の段階に到達し、登り詰めてしまった。エネルギーの運動法則から転換せざるを得ない。これで人類の前史は終わり、新しい歴史時代に移行するのである。

第六、人類の後半たる新しい歴史時代とは何か。それは、エンゲルスが『自然弁証法』で明言している通り、「人類は挙げて大宇宙との闘いに進軍する」のである。

 

 マルクスの学説の正しさは、歴史そのものが、事実で証明している通りである。

 

(以上)

 

 

 

 

 

 

 



ム〟をくりかえしている、というのが実際である。

ところがこうした国際政治の実態のなかで、イスラエル民族主義とアラブ民族主義は、それぞれブルジョアジーによって指導されているため、彼らは共に、相手を抹殺しようと計画しているがそれがブルジョア的であるが故に、とうてい実現することはない。現に、もしもアラブ民族主義者たちが、『シオニズムとイスラエルを地中海につきおとして抹殺する』ことを本当にやりぬこうと思うなら、まずイスラエルを強力に支持しているその保安官たるアメリカ帝国主義と徹底的に闘争しなければならないはずではないか。ところがアラブ民族主義者はそれをやる勇気も、準備も、覚悟もなく、反対にアメリカ帝国主義とは盟友の関係にあるソ連社会帝国主義にすべてよりかかっているというのであるから、まさにこれはマンガである。ここにブルジョア民族主義の町人根性、汚い手口、ごまかし、そして敗北の哲学が存在している。

 これは逆の立場から、イスラエルのブルジョア民族主義者にもあてはまる。

 かくして中東の行方はどうなるのか。今日までの歴史と、四回にわたる中東戦争の結末がその未来をはっきりと予測している。それはすなわち現代世界の二つの超大国、米ソ両帝国主義の世界政策、この二つの帝国主義の同盟のワク内で、この二大国が互いにイスラエルとアラブの側につきつつ、その局地戦を利用して世界を二分割しようとする帝国主義政策に、中東は最後まで利用されるであろう。

 そしてイスラエルとアラブ民族主義は、ブジョアジーに指導されているかぎり、結局は最後まで米 ソ帝国主義に翻弄され、彼らにあやつられながら、自国の運命を帝国主義によってにぎられてしまうのである。

 その結果、はてしない〝局地戦争〟に人民の血は流され、人民の苦しみは自国のブルジョア民族主義と外国帝国主義の手によっていっそう深まって行く。

 だが、階級闘争の歴史はいつまでもそういうことを許しはしない。自覚し、めざめた人民は、労働者階級の指導のもとに、はっきりとブルジョア民族主義と現代帝国主義のいつわりの政策を見破り、彼らの旗じるしに、はっきりとプロレタリア的民族解放のスローガンをかかげるであろう。

 それは第一に、アラブ人民とイスラエル人民は団結して、はてしない殺りくをつづけるブルジョア民族主義と現代帝国主義に対して反対せよ!

 第二に、アラブ人民とイスラエル人民の重要な敵は、アラブとイスラエルのブルジョア民族主義者であり、米ソ両帝国主義である。この二つの敵に断固反対して闘争せよ!

 第三に、アラブ人民とイスラエル人民の友は、国際労働者階級と真の社会主義と人民である。これらと団結し、現代帝国主義とブルジョア民族主義に反対してねばりづよく闘いぬくなら、最後の勝利はわれわれのものである!

 アラブとイスラエル人民の団結万歳!

 アラブとイスラエル人民は最後には勝利する!

 これがマルクス主義者、革命的共産主義者、労働者階級の唯一で、絶対に正しい民族政策であり、民族解放闘争のスローガンである。

                                   

結 語

 

世界のすべての諸問題は社会主義的共同体思想へ。ここに集約され、ここに人類の未来展望がある。

 

①人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。

②生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。

③物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。

④人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。

⑤コミュニティーとは何か。人民の人民による人民のための世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。

⑥生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。

⑦金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。

⑧人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。

⑨そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。

⑩人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。

 以上である。