

2025年1月25日 №545
《1月6日放映の『映像の世紀 CIA世界を変えた秘密工作』に注目せよ〉》
社会主義の破綻・混迷のすべてはフルシチョフの「スターリン批判」からはじまったのである。『映像の世紀』はスターリン問題に関するわれわれの科学的見解の正しさを証明した。
以後ソビエト社会主義はフルシチョフによって支配され、マルクス主義は放棄され、党は変質し、国家は資本主義に変色してしまった。そしてすべては腐敗、崩壊してしまった。『映像の世紀』は真実である。ここに歴史の偉大さがある。
1月6日(2024年2月26日の再放送)NHKテレビ番組「映像の世紀バタフライエフェクト」は「CIA世界を変えた秘密工作」と題し、この陰謀を事実で暴いた。第二次世界大戦後、スターリンの「一国社会主義路線」の正しさを証明するかのように共産主義は全世界に拡大していった。資本主義は震撼した。アメリカは「世界の民主化支援」という大義(トロツキーの革命の輸出の焼き直し)のもと、共産化する他国に工作員を派遣し秘密工作を仕掛けていた。
フルシチョフの「秘密報告」前、CIAは1948年4月のイタリアの総選挙において、共産主義への嫌悪を植え付けるためにキリスト教民主党に巨額の資金を渡し、選挙に介入。さらにアメリカに住むイタリア人に「共産主義に政権を渡すな」という手紙を家族に送らせるという心理作戦を展開した。その結果、キリスト教民主党は大勝した。また、1951年にはイランの石油国営化(アーバーダーン危機)を進めたモサデク首相に対し、CIAと英国諜報機関はイランのギャングに100万ドルの資金を渡し、暴動を扇動、反モサデク運動を展開し(エイジャックス作戦)、モサデクを失脚させ、パーレビ国王を政権につけた。それでも全世界の共産主義化という燎原の炎を消し去ることはできなかった。アイゼンハワー(アメリカ)はCIAに「共産主義運動の司令部を攻撃せよ」との号令をかけ、ソビエト攻撃の機会を虎視眈々と待っていた。フルシチョフはまんまとそれに乗せられた。CIAとフルシチョフの利害は完全に一致していた。
以上の事実は、マルクスが語った通り、「資本主義は自己の姿に似せて世界を作りかえる」ことを物語っている。「映像の世紀」が証言した通り、すべてはフルシチョフの「スターリン批判」から始まったのである。しかし、歴史は偉大であり、歴史は必ず革命的マルクス主義を復興させ、インタナショナルの再建を実現させる。理論上の原則を守り抜く革命的前衛党の出現が待望され、それは必ず実現される。
「スターリンとフルシチョフ?比較になりますか?スターリン時代はもっとシャッキとしていたよ。そりゃ当時は苦しかったさ。しかし生きがいがあったね。」(1979年12月11日付神奈川新聞・国際政治学者 袴田茂樹氏の取材報告)
ソビエト連邦共産党は1956年2月14日から25日までモスクワで第二十回党大会を開いたが、閉会前日の24日、そのとき党の最 高責任者であったニキタ・フルシチョフ第一書記は突如「スターリン批判」の秘密報告をおこなって会場を騒然とさせた。フルシチョフは、スターリンの指導には多くの誤りがあったとし、そのなかで特に農業政策を中心にした官僚主義の誤り、スターリンの血の粛清を中心とする独裁と弾圧の誤り、独ソ戦争の初期の敗北の責任、さらにはレーニンはスターリンを信頼していなかったとするレーニンの遺書問題等をとりあげ、猛烈な反スターリン演説をおこなった。会場はぼうぜん自失となり、全世界に一大衝撃をあたえた。同時に全世界の社会主義と共産主義運動、労働運動と大衆運動の各方面に混乱と動揺をひきおこし、各分野に分裂と対立と抗争をひきおこしていった。この秘密報告の直後、間髪をいれずCIAとアメリカ議会は「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」立ち上げ、アメリカ国務省は全世界に「秘密報告」を発信、反スターリンのプロパガンダを連日展開した。
実際には、レーニンとスターリンこそ共産主義運動と社会主義建設闘争の巨大な指導者であり、全世界の労働者階級と人民、非圧迫民族と少数民族の解放と独立の闘いにおける希望の星であった。そのシンボルがフルシチョフによって無残にもたたき壊されてしまったのである。とりわけ、共産主義運動と社会主義建設、労働運動と人民の闘い、民族解放闘争の分野に破壊的影響をもたらした。人民大衆にとっては信ずるものがなくなった。共産主義と社会主義を信じて闘ってきた人びとは自らのよりどころを失った。
他方、国際的には中・ソ論争に代表される国際共産主義運動の内部分裂は決定的となり、その副産物として世界各地にトロッキスト的新左翼運動が広まった(トロツキーの革命の輸出とCIAの民主主義の輸出は同根)。このような歴史の流れ、その発展の帰結と到達点が、1989年11月のベルリンの壁の崩壊と東ヨーロッパ社会主義諸国の消滅であり、1991年8月のロシアブルジョア革命とエリツィン大統領によるソ連邦解体(共産党の解散、憲法の無効、社会主義の放棄、ブルジョア政党と宗教の復活、アメリカ帝国主義との全面的和解、という資本主義への転向)であった。
社会主義と共産主義の「崩壊」とソ連邦の解体は、すべてフルシチョフの「スターリン批判」からはじまった。すべては修正主義の産物であった。そしてここにも社会科学の法則、歴史科学と科学的歴史観の運動法則が厳として貫徹されていた。科学的歴史観からみるとき問題の本質はつぎの点にあった。すなわち、全世界にはまだ強大な帝国主義と資本主義の陣営が存在しており、彼らの執ような反共と反社会主義の攻撃は止むことがなかった。その力が、ソ連と社会主義の内部にまだ残っていたブルジョア分子、旧体制の残存分子、その他の日和見主義分子と結合してフルシチョフを押し立て、ソ連共産党中央に修正主義を実現させた。これが反スターリン運動の階級的本質であった。そしてフルシチョフを先頭にしたこの種の反マルクス主義と修正主義の伝統は、歴史上、存在しつづけていた。最初はオイゲン・デューリング(1833~1921)、つぎはエドワード・ベルンシュタイン(1850~1932)、そしてあのカール・カウツキー(1854~1938)たちであり、それらはやがて国際的には社会民主主義政党へと合流していった小ブルジョア思想であった。
このような右翼日和見主義と階級的裏切りの思想は独占と帝国主義が残存しているかぎりなくなりはしない。独占と帝国主義が修正主義と結びついて、共産主義と社会主義を内部から思想的に解体させ、最後には実力で社会主義国家とその権力を破壊させていく。ここにはまさに科学的法則、歴史科学が貫徹されている。だから、この歴史科学に依拠しているわれわれは、すべてはフルシチョフの「スターリン批判」からはじまった、というのである。
そしてまた、なぜソ連にフルシチョフが出現して、ソ連共産党を解体させ、そしてなぜソ連や東ヨーロッパや、中国の社会主義が崩壊したのか、というこのこともまた、歴史科学と、科学的世界観にもとづかないかぎり解決できない。それはつまり、人類社会と地球をふくむこの大宇宙の運動と発展の過程は、常に「爆発と収れん、必然と偶然、絶対と相対の統一された運動」である、ということである。この歴史科学と科学的法則は何びとも避けることはできない。だから共産主義運動と社会主義建設も、ただ一回だけの実験ですべてが完成するものではなかった。地球が今日のようになるまでは45億年かかっている。生命の誕生から人類に到達するには40億年かかっている。人間がはじめてつくった原始共同体社会は200万年もつづいた。宇宙の変化と発展の法則にあわせて人類社会も変化し、発展していったが、つぎの奴隷制社会は8千年間つづいた。そのつぎの発展段階たる封建社会は1千3百年間もつづき、資本主義は生まれてから350年かかって今日にいたっている。そしてつぎの段階たる社会主義は生まれてからまだ70年間の年齢であった。資本主義の350年間は幾多の血と涙と殺りくの時代を通過して今日にいたっている。それに比べるなら、社会主義の前段階のたかだか70年の歴史はとるにたらない時間でしかなかった。だからもう一度、一から出直して、再出発することが歴史の発展法則として必然だったのである。人類史の多くの社会もみなそうしている。だからわれわれは繰り返して主張する。すべてはフルシチョフから始まったのであり、歴史的には避けられない法則であり、社会主義はつぎの新しい段階をめざす新たな闘いのスタートを切ったのである、と。
社会主義とは、目的意識的で、科学的であり、計画的で、社会的(社会主義的)計画経済である。その正しさはレーニン・スターリンのソビエト社会主義建設の40年が、偉大な勝利としてはっきり証明している。その歴史的事実、客観的事実をしっかりと確認せよ!
哲学・科学の運動法則の正しさは、レーニンとスターリンによって、実際にこの世で、そのソビエト社会主義建設の40年によって、みごとにその正しさが立証されている。その40年間のソビエト社会主義は、レーニン・スターリン時代のソビエト社会主義建設がいかにすばらしいものであったかということを歴史が証明している。観念論でなく、歴史上の事実として、多くの証人と証言に照らして、率直に確認しなければならない。
ロシアは非常に遅れた農業国であった。ロシアが資本主義に移行したのは1861年、ツアー(皇帝)による農奴解放令の公布からであった。しかしそのとき、世界はすでに資本主義時代の発展期にあった。イギリスは1300年代に農奴は解放され、1641年にはピューリタン革命が実現され、完全に資本主義社会であった。ロシアはそういう遅れた国であったから、1905年の日露戦争ではアジアの小国・日本に敗北し、1914年にはじまった第一次世界大戦ではドイツに敗北しつづけたのである。そしてロシア皇帝は退位した。この過程でロシア革命が実現し、レーニン、スターリンの社会主義時代が出現するのである。
レーニンの時代は外国干渉軍と国内反乱軍とのし烈な戦争とその勝利、「共産主義土曜労働」(社会主義競争)による社会主義の基礎的建設の勝利の時代であった。
レーニンとソビエト社会主義が成立したその直後の1918年のはじめから、世界中の資本主義国が、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本を中心に、全部で16カ国が、いっせいにソビエトに攻め込んできた。それに呼応
して、国内の旧時代の将軍たちも反乱軍を組織して蜂起した。こうしてあの過酷な国内戦が5年間もつづくのである。
レーニンとソビエトはこれに対して「戦時共産主義」を発動し、義勇軍(遊撃隊、ゲリラ)を組織し、人類最初の社会主義祖国を守れ、というスローガンのもと、1500万人の犠牲を払って戦い抜き、勝利した。この歴史的事実のなかに社会主義の偉大さ、その強じんさ、その優越性がある。
徹底的に破壊されたこの国土に社会主義を建設するにあたり、その困難な経済建設に、若い青年たちが決起する。それが「共産主義土曜労働」である。土曜日の半日休業を返上し、無償労働で祖国と社会主義建設に奉仕しようというこの運動は全国に広がった。レーニンはここに真の競争「社会主義競争」があると高くたたえた。戦争時の「戦時共産主義」、平時の「共産主義土曜労働」、ここに資本主義の「弱肉強食の自由競争」とソビエト社会の「社会主義競争」の違いがある。
レーニン、スターリンのソビエト社会主義建設の偉大な勝利を証明する世界の記録と、多くの証言をみよ。客観的事実の中から社会主義計画経済の正しさを確認しよう。
レーニンのあとを継いだスターリンは、遅れた農業国のロシアを、近代的な重工業と化学技術工業国へ向けた計画経済を実施。1928年から開始された第一次五カ年計画は、つぎつぎに継続して実現され、その中から新たな社会主義競争も展開された。その一つがスタハノフ運動である。1933年から始まった第二次五カ年計画の中で、ドンバス(ウクライナ南部の炭鉱)で働くスタハノフ(1906~1977)は、技術の研究と改良、作業手順の綿密な検討と合理化の中で、今までの14倍という生産量の増大を実現させた。スターリンはここに社会主義競争の見本があるとして「スタハノフ運動」を全国的に展開した。
レーニン、スターリンの社会主義経済建設の巨大な発展については、世界の新聞、雑誌、統計資料、学者知識人の発言などによってそのことは証明されている。その代表的な実例の中には、1985年度版『共同通信社・世界年鑑』がある。そこでは、ソビエト経済について「工業の成長率は第一次五カ年計画(1928)以来、1959年まで、第二次世界大戦中を除いて最低でも10%という高度成長を達成した」と記録されている。
そして学者・知識人の証言についてはジョン・K・ガルブレイス(1908~2006)がある。アメリカ経済学会の大御所で、1970年代のアメリカ経済学会会長で、20世紀経済学の巨人、アメリカ知性の代表といわれたガルブレイスは、1989年4月出版の著作『資本主義、社会主義、そして共存』の中で、対談したソ連の経済学者の発言を引用し、つぎのように述べている。「資本主義諸国が1930年代に大恐慌と不況にあえいでいたとき、ソ連の
社会主義経済は躍進に躍進を続け、アメリカに次ぐ世界第二位の工業国になった。そして完全雇用と社会保障をやってのけた。そして30年代、40年代の科学と技術、兵器と軍事技術、原子エネルギーと宇宙開発、大西洋横断とジェット機開発、などの近代科学と技術の分野ではソビエトは当時世界をリードしていた」と。ガルブレイスはその本の中で、このソ連経済が崩壊しはじめたのは1970年代以後(フルシチョフの修正主義によってソビエトの党と国家が変質したあと)のことであったことを論じている。
結び
マルクスはエンゲルスと共同執筆した『ドイツにおける革命と反革命』(1851~52年)において、そして同じ年にマルクス自身が執筆した有名な論文『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の中でつぎのように書いている。
「歴史を見ればわかるとおり、革命にはいろいろあるが、その多くは短命である。しかしプロレタリア革命は人類史上では最後の革命であり、プロレタリアートは人類史における最後の階級であり、最後の勝利者である。故にこの革命は、どんな勝利の時代、平和な時代にも有頂天になることなく、むしろ中途で一度立ち止り、勝利と敗北から深く学び、ときには徹底的に破壊し、ぶち壊し、はじめからやり直す。ときには迷い、尻ごみをし、動揺する。しかし、これは歴史が解決する。歴史がプロレタリア革命を要求し、プロレタリアに決断を求め、プロレタリアはこれに応えて最終革命にむかって立ち上がる」と。
マルクスが言っているのはつぎのことである。つまり、科学的に正しい法則といえどもすべてが 一直線で進むものではない。多くの実験、検証、失敗や敗北の中から真の勝利への道は開かれていく。プロレタリア (人民大衆)の運動と闘いもま た、その法則から免れることはありえない。最後の勝利者であるだけに、有頂天になることなく、一度は、はじめからやり直すことも必要なのだ、と。
学びながら前進せよ、とマルクスは予言している。この意味を深く、高く認識し、理解しなければならない。そして現代のマルクス主義、社会主義、共産主義運動は、マルクスの予言どおりに進んでいることを確信しなければならない。
(以上)
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ミヨ (土曜日, 22 3月 2025 22:13)
トロツキーも、「スターリン体制で問題だったのは、官僚支配の肥大化と腐敗」と
明言しているし、また西側諸国による飽くなきソ連侵略の野望と敵対も予見していた。
https://bloknot.ru/obshhestvo/signal-trevogi-predskazavshij-100-let-nazad-smert-stalina-razval-soyuza-i-neprimirimuyu-vrazhdu-s-zapadom-ostavil-miru-opasny-e-prognozy-1153255.html
だが、その西側諸国による大侵略を跳ね除けて独立を果たし、それぞれ独自の社会体制を築いた
ベトナム・キューバ・北朝鮮(DPRK)らの苦闘について何ら言及もせず、「世界は共産主義に
着実に向かいつつある」とは飛躍しすぎで、ただの見果てぬ夢としか思えない。
マスクスは、革命が成功した後の社会体制について何も語っていない。なぜか?
それは共産主義革命は全世界的に伝播していくため、国家という概念も消滅すると考えたから。
まずは、西側支配を跳ね除けて連携が進んできた現在のBRICS諸国の動向について
つぶさに観察すべき。そこに共産主義の一つの在り方が見えてくるかもしれない。
中国共産党も、「我々は今現在も発展途上国である」と言い、現体制が最終形態でないことを
明言している。
なお、米帝を殖民地的としながらも、結局野党連合体制から叩出されるのが怖くて、その先が
全く語れない宮本・不破・志位/田村体制の日本「勝共」共産党は、さっさと消滅すべきだ。