2024年1月25日 №533

2024年1月25日 №533

2024年人民戦線アピール


歴史は転換を求めて迫っている。それは戦争であり、気候難民であり、各種避難民の急増であり、貧富の格差、人民の怒りであり、その爆発である。社会の変革と人民革命は必然である!

 

新年にあたり、先進分子に訴える!

 

   日本人民戦線・運営委員会

   議長    平岡恵子

 

新しい年、2024年を迎え、同志の皆さん、そして先進的な幹部と活動家の皆さんに、新年の挨拶を申し上げますと共に、皆さんの昨1年間の奮闘に対し、心からの尊敬と敬意、連帯を申し上げます。

 歴史は科学的歴史観に沿って、着実に前進しています。

 日本のオピニオンリーダーと言われる『中央公論』が、昨年12月号では「陰謀論が破壊する日常」と題する特集を組み、新年1月号では「独裁は選挙から生まれる」と題する特集を連続して組み、資本主義の危機と現在の歴史が提起した課題を取り上げています。

人類の歴史を見ればおわかりのように、一つの支配階級が永遠であったことは一度もないのであります。資本主義と現代帝国主義の時代は終わり、コミュニティ社会に席を譲らなければならない時代に到達しています。日本でも昨年末以来一気に騒々しくなった安倍派の裏ガネ問題です。それは安倍の死亡によって運命は決していました。安倍派の消滅は必然であり、裏ガネつくりの発覚は偶然的結果でした。またその安倍派に依拠した岸田政権の破綻も必然です。恐らく解散総選挙は不可能でしょう。にもかかわらず岸田降ろしが表面化しないのは、自民党政権の危機があるからです。これは単に日本の問題であると同時に現代資本主義の問題です。まさに現代の歴史は大転換の時代であります。

 そこで私は、新年にあたり、現代の歴史時代の課題として、三つの点を提起したいと思います。

 第1は、戦争と平和の問題についてであります。20世紀は戦争の世紀でしたが、人類は帝国主義戦争によって2億人以上が殺されました。帝国主義はまさに殺人マシンであります。21世紀に入った現代でも、戦争は止むことがありません。ウクライナ戦争では、およそウクライナ軍7万人が殺され、イスラエルとハマスの戦争では「2万人を超える死者を出した」「行方不明者67百人」と言われています。ガザの民間人は「皆殺し」であり、犠牲者は増大するばかりです。12月10日付の読売新聞は、従軍記者の報道として、ガザ北部「がれきの山 人影なく」「ゴーストタウン化していた」「空に響く無人機の音」と書いています。正に泥沼の戦争が続けられています。全ては現代資本主義と帝国主義の支配が生み出したものであります。 

歴史時代は今、戦争の世紀にピリオドを打って、戦争のない社会、つまり、人民による、人民のための、人民の政権を求めて爆発しているのです。独占資本主義(帝国主義)は「戦争と人殺しの社会」であり、決して人類の未来社会ではない、と断言します。これがまず第1の課題です。

 第2は、世界に増え続ける難民の問題です。国連難民高等弁務官事務所の発表によると、2022年末の世界の難民は1億840万人に達したとしており、2023年も増え続けました。さらに現在では「気候難民」と言われる難民の増大も新年から大問題となっています。11月30日に開幕されたCOP28(国連気候変動枠組み条約第28回締結国会議)は、温暖化の影響で干ばつ・洪水・大規模火災などで故郷を捨てなければならない気候難民問題が、大きく取り上げられました。平和と生活と身の安全を求め、祖国と故郷を捨て、流浪の民となって、当てもなく、これだけ多くの民がさ迷うような時代は今までありませんでした。ここに現代資本主義の政治的危機があります。われわれ人類は、独占資本主義から「地球と宇宙」を取り返さねばなりません。もはや現代資本主義に人類を豊かにする能力はなくなったのであります。ここにも歴史の転換期を見ることができます。これが第2の課題です。

 第3は、人類の未来はコミュニティであります。

 人類の歴史は原始時代奴隷制時代封建制時代資本主義時代へ、そして現代独占資本と帝国主義の時代に登り詰めました。資本主義の頂点に達した現代、らん熟し、腐敗し、堕落してしまった現代、その権力はもはや統治能力を失ってしまいました。もはや老いてしまったのであります。

 歴史の到達点はコミュニティであります。

 資本主義の単なる改良ではなく、根本的転換、すなわち、コミュニティ共同体と社会主義への革命的転換であります。これが私たちに提起されている課題であります。

 歴史は科学であります。人類は、かつては協力し、共同し、連帯して生きていました。それが、支配階級が生まれ、国家が誕生して以来、戦争が勃発したのであります。

 次がその歴史科学であります。

 

原始共同体社会は、生産力のない、狩猟採集時代であった。その社会的環境が協力と共同、平和と連帯の社会たらしめた。人間は生まれながらにして善である。

 

人間とは何か。人間は歴史的産物、社会的産物、環境の産物であり、本質的には〝善〟であり、その出発点からみて、共同と協力、自由と平等、愛と平和の社会的人間であった。ここに近代考古学も証明している本質的な人間像があります。

宇宙は約百四十億年前に起こった大爆発(ビッグバン)によって生まれました。

 地球が生まれたのは約四十五億年前であります。

 生命が誕生したのは約四十億年前であります

 人間が出現したのは約百万年前であります。

 そして、人類が最初に遭遇した社会は原始共同体的集団社会であり、単一の家族はなく、集団家族であり、群婚生活であり、そ

 

 生命が誕生したのは約三十八億年前であります

 人間が出現したのは約百万年前であります。

 そして、人類が最初に遭遇した社会は原始共同体的集団社会であり、単一の家族はなく、集団家族であり、群婚生活であり、そ

 れ故に母系家族であり、肉親は母を中心に形成されていました。一群の集団はみな共同して食糧の採集、狩猟、住居の構築、猛獣からの防衛を遂行しました。生産活動がまだ発達していなかった時代、人類はすべてを共同し協力しなければ生きていけませんでした。この歴史性、この社会性、この環境が、人間をして共同行動と協力、共同生活と共同体意識をつくりあげていったのです。まさにその存在が彼らの意識を決定づけたのです。

 

人間は最初から、共同体と協同意識、協力と共同生活、すべてにおいて平等と平和と連帯のなかで生活していました。人間は、生まれながらにして、その性質は〝善〟であり、悪はなく、犯罪もなく、すべてにおいて共同と協力、自由と平等、愛と平和の社会的人間でした。このことは近代考古学が多くの遺跡発掘を通じて明らかにしています。人間は本質的にも、歴史的にも、貧富の差のない、階級差のない、真の自由と平等の社会的人間だったのです。これが出発点であり、これが始まりでした。

 

 

 

国家の出現(奴隷制度)によって、性善説は破壊され、性悪説の社会となった。こうして歴史上はじめて警察、刑務所などの暴力装置が必要となった。

 

 

 

性善から性悪へ。共同と協力から分裂と対立へ。平和から戦争と抗争へ。このように人類社会が分裂したのは、余剰生産物と蓄積された財貨と土地と山野を、一方的に占有し、私物化し、収奪し、支配し、階級的私有財産制と、そのための国家と権力をうちたててからです。悪の根源は国家と権力にあります。

 

 人類がこの地球上に生まれ、人間が共同して生活し、社会をつくりあげた当初は、国家もなく、権力もなかった。国家も、権力も必要としなかったのです。みんなが共同し、協力し、連帯し、力をあわせ、食糧の採集、狩猟、住居の構築、猛獣からの防衛にあたった。みんな自発的に、強制されることなく、自然に、自主的にこれをおこなった。強制機関としての国家も権力も必要なかった。このような氏族制度のもとでは兵士も警官もなく、貴族も、国王も、総督も、知事も、裁判官も、監獄も、したがって訴訟もなかった。それでいて万事きちんと運んでいた。土地も、住居も、道具も、生産物も共有で、共同管理し、子供たちも一族の共有財産でした。万人は自由で、平等で、奴隷もなく、抑圧もなく、戦争も必要としなかったのです。このような人類初期を原始共同体社会という、歴史と環境と社会的存在が、善良で平和的で協力的な共同体意識をつくりあげました。まさにその存在が意識を決定したのです。人間は歴史的産物であり、環境の産物であり、社会的産物なのであります。

 

 やがて、道具が発明され、改良がすすみ、火を使うことが発見され、農耕が発生し、家畜の飼育と、金属加工の開発などによって生産力は急速に発展する。当然の結果として、需要より供給が増大し、そこに余剰生産物と蓄積が生まれ、他の氏族との間に交換が発生し発展する。そのときから人類社会に異変がおこったのです。

 

 すべては社会のものであるのに、一部の人間の中から、私物化しようとの衝動が起こり、社会の階級分裂が起こったのです。フランス啓蒙運動の旗手・ルソーは〈一部の男たちは、土地に囲いをし、杭を打ち「これは俺のものだ」と宣言する思いへ駆り立てて行った〉(「人間不平等起源論」1754年)と言っています。これは社会の分裂であり、階級分化であり、新たな抗争のはじまりでした。大自然の土地や山野の私有、そして財産のはじまりはまさに「泥棒」なしにはあり得なかったのです。そしてこの階級による、よりいっそうの収奪と支配、他の氏族との間の争奪戦がはじまったのです。

 

 

 

独占資本主義は人類社会前史の終焉であり、生産力と科学技術の発展は必然的にコミュニティ社会へと前進する。こうして生産力の発展と生産関係は合致していく。

 

 

 

人類は生産力の発展に応じ、五つの社会制度を通過してきました。

 

新しい国家は貴族の支配する奴隷制社会でした。財産と権力を一部の貴族集団が支配し、多数の奴隷労働がこれを支えた。二つの階級は互いに対立し闘争した。その典型的で有名な実例が古代ローマのスパルタクスの反乱です。

 

 やがて生産力はいっそう高まり、領地の私有化とその支配権をめぐる武士階級の闘いの時代へ移行。権力は貴族の手から武士に移った。封建制社会の出現です。奴隷は人間として解放されたが、土地と領主にしばられる農奴となった。農奴はしばしば一揆をおこし権力と闘った。歴史上有名な農奴の反乱にロシアの「ドン・コサック」とプガチョフの乱があり、日本では封建時代を通じて発生した一向一揆がある。この時代の階級対立は封建領主と農奴との対立と抗争でした。

 

 生産力は爆発的に向上し、商品生産の増大、貨幣経済の出現は、封建社会を崩壊させ、資本主義社会を生み出した。近代ブルジョアジーは実力、暴力、剣で、血を流して権力をにぎった。一六四九年のイギリスではチャールズ一世が処刑され、日本の明治維新は「戊辰戦争」という一年半にわたる内戦を通じて実現された。これによって農奴は解放されたが、そのかわりに近代プロレタリアートは商品としての労働力を売らねばならなかった(賃金奴隷)のです。

 

資本主義は独占化して帝国主義の段階に達した。あくことなき最大限の利潤と収奪を求めて独占資本は他国と他民族を支配し侵略に乗り出していく。帝国主義は高度の独占資本であり、同時に他国と他民族の収奪と支配と植民地化です。しかし限られた地球のなかでの侵略と収奪には限界があり、帝国主義は行き詰まってしまいました。近代社会における深刻な地球環境の破壊進行、その対策の失敗も強欲資本主義・帝国主義の統治能力の喪失、敗北・破産を物語っています。

 こうした帝国主義の矛盾の爆発が、第一次世界大戦であり、第二次世界大戦であり、この二つの大戦を通じて人類は次なる時

 

 



 代、社会主義的共同体社会の実現を試みた。これがロシア革命、中国革命に代表される社会主義建設でした。

 人類がはじめてつくり出した社会としての原始共同体時代、国家もなく、権力もなく、人びとは平和的に、共同と協力の社会を営んでいました。人類は本来のあるべき姿として性善説そのものの生活をうち立てていたのです。それを破壊して分裂と抗争と対立と戦争の社会にひきこんだものは国家であり、権力でした。その国家と権力もついに寿命がつきて最後の段階に到達し、つぎなる世界に席を譲ろうとしています。その新しい世界とは、人類が最初につくりだした、あのうるわしい社会、共同体社会なのです。それは、より発展した、より前進した、より高度の社会、そういう共同体社会であり、コミュニティ社会(社会主義)なのであります。

 

結び

 

マルクスの『フォイエルバッハにかんするテーゼ』(第11の項)―哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」。

 

 この「フォイエルバッハにかんするテーゼ」は第一項から第11項までありますが、最後の11項は決定的であります。

マルクスは、短いこの一文で、革命的実践活動とは何か、を訴えたのであります。マルクスは常に思想を語っています。「理論が大衆をとらえるや否や物質的力に転化する」とはマルクス主義哲学の核心であります。

『中央公論』12月号の特集記事、「陰謀論が破壊する日常」の巻頭論文は社会学者の大澤真幸氏が書いたものです。そこには『反面教師』として、マルクス主義哲学を学ぶ上で注目したい一文があります。次の一説であります。 

 

 

【「カール・マルクスは有名なメモ『フォイエルバッハに関するテーゼ』の最後に、『哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎず、肝心なのは世界を変革することだ』と書きました。一理はありますが、私たちにとって今重要なのは、むしろ『世界を解釈すること』です。世界を解釈しないままでは変革もできません。何かがうまくいっていないことはみんなわかっていても、その原因がわからないから、従来なら笑い飛ばしていたはずの陰謀論に走ってしまうのです】と。

われわれは、日本のマルクス主義者、先進的知識人、仲間にはっきりと訴えます。

「哲学は闘いであり、行動であり、唯物論とは運動する哲学であり、闘う哲学である」。故に真の哲学(者)は運動し、闘わねばならない。哲学者は実践的行動派たれと言ったのであります。マルクスとエンゲルスは哲学者であり、実践家であり、革命家でありました。解釈やニュース解説に陥らず、闘え! 変革せよ! と叫んだのであります。ここにマルクスの哲学者にして革命家たる真骨頂があります。われわれにはマルクスの言葉がよくわかる。だから「理論が大衆をとらえる否や物質的力に転化する」という哲学思想があの含蓄ある短い言葉となったのであります。

ここにマルクス主義哲学の核心があるのです。

 

人民闘争、人民戦線、人民権力万歳!

人民権力としての評議会をいたるところに組織せよ!

すべてを導くマルクス主義哲学と大武思想万歳!

 

 

 

 

 

 

 



ム〟をくりかえしている、というのが実際である。

ところがこうした国際政治の実態のなかで、イスラエル民族主義とアラブ民族主義は、それぞれブルジョアジーによって指導されているため、彼らは共に、相手を抹殺しようと計画しているがそれがブルジョア的であるが故に、とうてい実現することはない。現に、もしもアラブ民族主義者たちが、『シオニズムとイスラエルを地中海につきおとして抹殺する』ことを本当にやりぬこうと思うなら、まずイスラエルを強力に支持しているその保安官たるアメリカ帝国主義と徹底的に闘争しなければならないはずではないか。ところがアラブ民族主義者はそれをやる勇気も、準備も、覚悟もなく、反対にアメリカ帝国主義とは盟友の関係にあるソ連社会帝国主義にすべてよりかかっているというのであるから、まさにこれはマンガである。ここにブルジョア民族主義の町人根性、汚い手口、ごまかし、そして敗北の哲学が存在している。

 これは逆の立場から、イスラエルのブルジョア民族主義者にもあてはまる。

 かくして中東の行方はどうなるのか。今日までの歴史と、四回にわたる中東戦争の結末がその未来をはっきりと予測している。それはすなわち現代世界の二つの超大国、米ソ両帝国主義の世界政策、この二つの帝国主義の同盟のワク内で、この二大国が互いにイスラエルとアラブの側につきつつ、その局地戦を利用して世界を二分割しようとする帝国主義政策に、中東は最後まで利用されるであろう。

 そしてイスラエルとアラブ民族主義は、ブジョアジーに指導されているかぎり、結局は最後まで米 ソ帝国主義に翻弄され、彼らにあやつられながら、自国の運命を帝国主義によってにぎられてしまうのである。

 その結果、はてしない〝局地戦争〟に人民の血は流され、人民の苦しみは自国のブルジョア民族主義と外国帝国主義の手によっていっそう深まって行く。

 だが、階級闘争の歴史はいつまでもそういうことを許しはしない。自覚し、めざめた人民は、労働者階級の指導のもとに、はっきりとブルジョア民族主義と現代帝国主義のいつわりの政策を見破り、彼らの旗じるしに、はっきりとプロレタリア的民族解放のスローガンをかかげるであろう。

 それは第一に、アラブ人民とイスラエル人民は団結して、はてしない殺りくをつづけるブルジョア民族主義と現代帝国主義に対して反対せよ!

 第二に、アラブ人民とイスラエル人民の重要な敵は、アラブとイスラエルのブルジョア民族主義者であり、米ソ両帝国主義である。この二つの敵に断固反対して闘争せよ!

 第三に、アラブ人民とイスラエル人民の友は、国際労働者階級と真の社会主義と人民である。これらと団結し、現代帝国主義とブルジョア民族主義に反対してねばりづよく闘いぬくなら、最後の勝利はわれわれのものである!

 アラブとイスラエル人民の団結万歳!

 アラブとイスラエル人民は最後には勝利する!

 これがマルクス主義者、革命的共産主義者、労働者階級の唯一で、絶対に正しい民族政策であり、民族解放闘争のスローガンである。

                                   

結 語

 

世界のすべての諸問題は社会主義的共同体思想へ。ここに集約され、ここに人類の未来展望がある。

 

①人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。

②生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。

③物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。

④人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。

⑤コミュニティーとは何か。人民の人民による人民のための世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。

⑥生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。

⑦金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。

⑧人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。

⑨そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。

⑩人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。

 以上である。