

2023年5月25日 №525
2023年度革命英雄記念祭開かる
去る四月九日(日)、東京霊園・記念碑前で、歴史上の大弾圧事件「3・15」「4・16」を記念し、日本共産党(行動派)中央委員会主催の『2023年度革命英雄記念祭』が開催された。司会進行は政治局員小林武治。
記念式典には、森久議長を先頭に、行動派党の代表、人民戦線の代表、ご遺族の代表が参列し、記念碑に眠る53名の革命英雄に対し、革命的伝統を継承し、英雄と共に光栄ある生涯を全うし、記念碑の下、一大家族として永遠に闘い続け、生き続けることを固く誓った。
なお、今年の記念祭には、4月3日に卒寿である90歳の誕生日を迎えられた、記念碑建立者・故大武礼一郎夫人の恵藤明子さんが、お元気な姿で参加され、式典に集った幹部・活動家を激励した。
第一部・記念式典において、「赤旗の歌」合唱、黙祷、平岡書記長の式辞、森議長の記念祭挨拶の後、明子夫人の卒寿を祝い、平岡恵子書記長が党を代表して花束を贈った。明子夫人は明瞭な口調で感謝の言葉を述べ、来年度も必ず参加するとの決意を力強く語られた。
こうして、第一部は記念祝典として厳粛かつ盛大に挙行され、最後は全員が献花し、記念碑に眠る英雄に対し、激動の時代を、原則を堅持し、勇猛果敢に闘い抜くことを固く誓い、終了した。
第二部は、場所を変え、食事をしながらの交流懇親会がもたれた。遺族を代表して梅原秀臣さんが挨拶され、参加者からは懐かしい思い出話が次々と披露され、和気あいあいの親睦会となった。交流懇親会は中山行雄中央委員が、本日の感激を胸に襲いかかるあらゆる困難を突破して行こうと、力強く締め括り、幕を閉じた。
一部・二部を通じて、われわれは革命的行動派の集団であり、森久議長の下に団結し、統一し、助け合う一大家族の集団であることを改めて証明し、確認した。
〈記念祭・議長挨拶の骨格〉
歴史の大転換期におけるマルクス主義的分派の存在と革命的中核の役割について!
森でございます。
本日はこの革命英雄記念碑前にお集まり頂き、ありがとうございます。司会者の冒頭あいさつで報告がありましたが、建立者の夫人、恵藤明子さんが先日、満90歳の誕生日を迎えられたとのこと、本当にうれしい限りです。〈親父は亡くなったが、お袋さんは元気だ〉これはわれわれの励みであります。毎年4月の英雄記念祭で元気なお姿を拝見するだけでわれわれの力になるのであります。
さっそく本題に入りたいと思います。
私が皆さんに一言、申しあげたいのは現代の時代は、転換の時代だという事についてであります。つまり資本主義が崩壊し、コミュニテイー共同体(社会主義)へと転換する時代であります。歴史科学はこの道しかないのであります。また、われわれだけが勝手に言っている展望ではなく、内外の知識人が表現は違っても共通して言っていることでもあります。例えば先ほど平岡書記長の式辞で紹介された京都大学名誉教授の佐伯啓思さん、フランスの歴史学者エマニュエル・トッドさん、若きマルクス主義者斎藤幸平さん(東京大学准教授)などは「マルクスに帰れ」と堂々と主張しています。これは現代の歴史時代が先進的知識人を刺激し、後押しをしているのであります。ここに歴史科学の法則があります。
歴史は動き、転換する現代の時代、もっとも大切なことはマルクス主義の基本原則を守るのか否かであります。われわれは過去、現在を含め、常にその旗手となり、推進者となって来ました。それはこの記念碑に眠る革命英雄の歴史が証言し、物語っている通りです。これに反した最大の見本は宮本修正主義であります。
その結果、現在の志位委員長の「日本共産党」は、選挙、選挙の議会主義に転落し、党は堕落し、とうとう内部対立が発生し、除名、除名で、もはや崖っぶち、崩壊寸前であります。これはわれわれが早くから予測した通りです。マルクス主義的前衛政党の再編成は必然であり、歴史はそれを求めて、対立し、激動し、爆発していくでしょう。この度の統一地方選でも大きく議席を落としましたが、小池書記局長が認めている通り、内部の抵抗闘争です。今後不満の激化、対立と抗争は一層強まっていくでしょう。宇宙がビッグバンによって誕生したように、社会科学、歴史科学の法則もまた対立と爆発を通じて転換するのであります。共産党の内部で必ず、マルクス主義的分派が誕生し、それを核にして、党内は揺さぶられていく。その中で修正主義は破綻し崩壊する。革命的分派の出現は必然であります。
第一次世界大戦の開始と第二インターの敗北。チンメルワルド左派とレーニンの下に結集したマルクス主義的分派と左派、これがロシア革命と第三インターの結成へと結びついたのです。このレーニンの道、ここに日本における前衛政党再編成の道があります。最後を決するものはいつの時代も革命的分派と極少数の核の存在であります。
皆さん、かつてエンゲルスが「このメーデーの高まりをマルクスに一目見せたかった」と叫びましたが、われわれもそれと同じことを大武礼一郎名誉議長や革命英雄に報告できる日が必ず到来するでしょう。
〈2023年度・革命英雄記念祭の式辞〉
日本共産党(行動派)中央委員会・政治局員
書記長 平 岡 恵 子
本日の『2023年度革命英雄記念祭』に、お集まり下さった行動派党の党員の皆さん、ご遺族の 皆さんに、心からの敬意と、御礼を申しあげます。ありがとうございます。
行動派党の創立者であり、この革命英雄記念碑の建立者であるわれわれの尊敬する大武礼一郎名誉議長が死去して丸4年が経ちました。この間、内外の情勢は大きく変化し、資本主義は崩壊し、帝国主義は力を失い、歴史の法則通りに進んでいます。人民の未来はコミュニテイー共同体であり、社会 主義であります。
その証言こそ、皆さんの前に、気高くもそびえ立つこの革命英雄記念碑であります。英雄記念碑は、日本革命運動の歴史の証言であり、革命的伝統のシンボルであり、生命を共にする革命集団の誓いの旗印であります。
ご出席の皆さん!
英雄記念祭を開催するに当たり、中央委員会を代表し、本年度の式辞を申しあげます。
ウクライナ戦争について!
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は、3月31日付朝日新聞に『西欧の価値観「普遍的」か』と題する貴重な論を発表しています。正統マルクス主義・大武思想から見て、何がはっきりするのか。大局的には次の事であります。
第一に、ウクライナ戦争は歴史的に見て西欧的なものとロシア的なものの対立と激突であり、内容的には帝国主義戦争である、と言 っています。
第二に、米国の政治学者フランシス・フクヤマが、自由と民主主義の実現を「歴史の終わり」と呼んだそれは世界の普遍的価値観ではない。資本主義は永遠ではない。
第三に、「多様なものの結合」こそ、新しい時代のあり方である。ここに普遍性がある。佐伯氏はこう論じて共同体思想を展開しています。
佐伯氏の主張は全く正しいものであります。
また、現在、日本共産党の内部で、対立が発生し、除名処分などの事件が起こっています。今はまだ議会で如何に多数派を得るか、大衆の支持を得るのか、低い段階ですが、やがて一定の政治状況の中で、対立は激化し、外からの刺激など、によって、マルクス主義的分派が生まれ、質的変化、科学変化を起こしていくでしょう。すべて哲学原理であります。
「3・15」、「4・16」を記念して、毎年1回革命英雄記念祭を挙行する意義について!
さて皆さん、わが党は中央の決定として、毎年4月に革命英雄記念祭を挙行しています。それは、わが党の歴史上、敵ブルジョア権力が日本共産党に加えた最大の弾圧たる「3・15」と「4・16」の両事件を記念しつつ、この凶暴な弾圧にもかかわらず、わが党は不滅であり、歴史が前進し、民主主義と社会主義は必然であるという確信を内外に宣言するため、そして党の革命的伝統をたたえ、革命の英雄たちをたたえ、いっそう団結して革命運動を推しすすめるため、偉大な革命の党を建設せんがため、このために、毎年4月に記念祭を開催しているのであります。
「3・15」とは何か。1928年(昭和3年)の3月15日、日本政府は全国の検事局を総動員して日本共産党に襲いかかったのであります。この日全国的に共産党員の家、共産党の事務所、また共産党の支持・協力者の家が急襲され、合計1600人余の人びとが逮捕・投獄されました。それは歴史上最大の弾圧であり、最大の逮捕者でした。
翌年の1929年(昭和4年)4月16日に、再び日本政府は検事局を動員、日本共産党に襲いかかり、825名の大量の共産党員を投獄・起訴したのであります。
この2つの大弾圧によって、日本共産党はその指導部を全部失ってしまい、指導部は獄中にあり、1945年に日本帝国主義が第二次世界大戦に敗れ、徳田球一が18年の獄中から出獄して党を再組織するまで、個々の党員は指導部なしにバラバラの闘争をしなければならなかったという、そのような大弾圧だったのであります。
「3・15」と「4・16」の本質と教訓の最大のものこそ、マルクス・レーニン主義は不滅であり、日本共産党は不滅であり、革命運動と階級闘争は不敗であり、民主主義と社会主義の勝利は歴史の必然である、ということであります。
日本共産党は、獄中18年の苦闘を通じて鍛えられ、1945年には再び、再組織された日本共産党として人民闘争の先頭に立つに至りました。
日本共産党は徳田球一の死後、宮本修正主義によって党中央が毒されてしまいましたが、やがて党は行動派の党として1980年7月15日に再建されました。わが党は弾圧という外からの攻撃にも負けず、また修正主義の支配という中からの攻撃にも負けず、ここに立派に生き続けています。
労働者階級と階級闘争、そして共産党は、弾圧によってつぶれはしない。逆に弾圧によって党は鍛えられ、訓練され、訓練の中からたくましく成長、前進、発展するのであります。
皆さん!
生あるものはいつかは死す。だが、人類社会とこの宇宙は無限に発展していく。人類社会は過去から現代へと同じように、未来に向かって前進する。
未来は共産主義のものであり、この道への前進はかって前進する。闘争が切り開いていく。われわれは永遠に生き抜くことができる偉大で光栄ある生涯としてのこの道を進もう。こうしてのみ、徳田球一、渡辺政之輔、市川正一と共に、われわれもまた永遠に不滅であります。
革命英雄記念碑の碑誌にささげるわれわれの誓い!
皆さん! この革命英雄記念碑を仰ぎ見る度にぜひ『碑誌』を繰り返し、お読みいただきたい。そしてその度に、三賢人や、入魂者の姿を思い出していただきたい。英雄記念碑の建立者である大武礼一郎名誉議長は、碑誌で次のように言っています。
『日本共産党の創立者・徳田球一、そして日本共産党の革命的行動派として、草創期の党をみちびいた徳田球一、渡辺政之輔、市川正一の三賢人がここに眠る。
また三賢人と共に闘った人びと、三賢人がのこした偉大な革命的伝統を復活させて再建された日本共産党(行動派)、この偉大な党と共に闘った人びと、すなわち日本革命に身を捧げた偉大な共産主義者と革命的行動派の英雄たちがここに眠る。
また三賢人と共に闘った人びと、三賢人がのこした偉大な革命的伝統を復活させて再建された日本共産党(行動派)、この偉大な党と共に闘った人びと、すなわち日
本革命に身を捧げた偉大な共産主義者と革命的行動派の英雄たちがここに眠る。
われわれは歴史を尊重しなければならない。革命運動は永遠の過去から永遠の未来に向かって前進し発展しつづける巨大な流れである。そして人間は歴史的条件が成熟して提起された問題だけを解決する。歴史的条件の成熟していない問題や、歴史的な制約のある問題を解決することは不可能である。そしてまた歴史的に未解決のこの問題を解決するものこそ党と革命の後継者でなければならない。
われわれはこのような偉大で光栄ある後継者がはたさなければならない任務に全力をあげ、力を合わせて実現しようではないか。歴史が与えたこの問題に対するわれわれの姿勢は感謝であり、これを実現することへの誇りであり、必ず勝利するということへの不動の確信と信念である。
先人と後人をふくめてわが革命集団は、闘う集団であり、一大家族の集団である。わが一大家族はこの革命英雄記念碑のもと、永遠に一体である。
わが旗じるし革命英雄記念碑万歳!』
大武礼一郎 以上であります。
《小さい地方の大きな教訓》
和歌山一区自民党の大敗北は、古い時代は終わり、日本の新しい時代への大転換を求めた大事件であった!
4月23日、岸田政権の中間評価と位置づけられた衆参五つの補欠選挙が統一地方選後半戦と同時に投開票された。自民党は、野党が乱立した衆院千葉5区と、立憲民主との一騎打ちになった参院大分選挙区で競り勝ち、衆院山口2区、4区の議席を守った。一方、衆院和歌山1区は統一地方選前半戦で伸長した日本維新の会が制し、結果、自民党は4勝し、形の上では勝利した。われわれは如何に評価するのか、基本的にはつぎの通りである。
第一に、5つの補欠選挙は4勝1敗で自民党の勝利と言われているが、本当に自民党は勝利したのか、確かに結果としてはその通りである。しかし内容を見るとけっしてそうではないことがわかる。例えば岸田首相が襲われた和歌山一区である。襲撃への「反撃」として、また和歌山は保守王国と言われ、それだけに勝たなければならない選挙であったが、日本維新の会の勢いに圧倒されたのである。体制立て直しのための二階派の会合で、伊吹文明元衆院議長が「維新の勢いはすごい。我々が政権を失ったときの前夜と非常に似ている」と語った(朝日、読売の報道)。「鳩山民主党政権を誕生させた当時の『革命的うねり』と似たものがあった」(2009年8月総選挙)と言っているのである。現代はまさに「古い時代からの転換の時代」なのである。
歴史の動きは誰も止められない。岸田首相も、菅義偉前首相も、特別に動員された小池百合子都知事や、どんな大物も止められないのである。自民党政治の敗北である。ここに事の本質と現代の歴史時代が象徴されていた。選挙の翌日、24日付の新聞見出しはみな次のようなものであった。『「中間評価」薄氷の勝利』(朝日)『自民思わぬ接戦』(読売)『自民、高揚感なき4勝』(日経)『厳戒 選挙維新制す』(産経)等々だったのである。
第二は、千葉5区は野党が乱立し、バラバラであった。自民候補の得票率は3割にとどまった。それでも野党は勝てなかった。参院大分でも形の上では「野党共闘」が実現したが全く機能していない。無党派の65%が野党候補に投票したが、それでも自民新人に勝てなかったのだ。自民党は33%という超低投票率に助けられた。
これはいったいどういうことか。野党の問題というよりは野党の中心部、中核的リーダーの問題である。〈背骨の役割を果たす力がどの党にもない〉。60年安保や70年安保をみればわかる通り、労働運動、大衆運動をバックにして当時は社会党や共産党がそれを担っていた。その後の共産党は運動を忘れ、議会主義に転落し、腐敗した結果、野党間で、同等の立場で、票の奪い合い、議席の奪い合いが始まった。この矛盾、この問題があちこちで火を噴いている。これが共産党内では現在、対立と抗争として爆発し、党内を揺さぶっている。その解決のために、党員の除名など強権を発動させているが、何も解決されず、来年1月の党大会に向かって、ますます矛盾を再生産させていくであろう。
看板は共産党でも本当の共産党ではない。マルクス主義を投げ捨て階級的闘いと運動を忘れた修正主義政党なのである。この度の統一地方選挙では、選挙前の1割超、135議席を失った。4月27日、志位委員長は記者会見し、「責任は感じるが、路線は綱領で決まっている」と他人事のような発言をしているが、彼らの敗北は明らかである。歴史はすでに審判を下しているのである。
第三に、日本ではマルクス主義的前衛政党の再編成が求められている。歴史の必然性である。現在共産党の内部で対立と抗争が巻き起こっているが、修正主義(議会主義)の現在の共産党は敗北せざるを得ない。しかしその対立と抗争の中で、マルクス主義的分派が形成され、共産主義運動が再編成されていく。現在の対立と抗争はそのための起爆剤である。
ここにレーニンの道がある。1914年、第一次世界大戦の開始と共に、内部に発生した対立と分裂によって第二インターは解散に追い込まれた。しかし、1915年9月5日、スイスの小さな町、チンメルワルドに第二インターの左派はマルクス主義の擁護とインターの再建を目指して集合した。40人のなかでレーニンの下に結集したマルクス主義分派はわずか6人であった。この極最少の核が中心となり、ロシア革命の勝利と第三インタナショナルの結成へと進むのである。歴史上のこの事実、ここに日本における共産主義運動再建の道がある。形は違っても事の本質は同じである。ここに歴史科学の所以(ゆえん)がある。
ロシア革命の指導者レーニンは有名な著書『一歩前進、二歩後退』の中で次のように言っている。
『プロレタリアートは権力獲得のための闘争において、組織以外にどんな武器も持たない。ブルジョア世界における無政府主義的競争の支配によって分散させられ、資本のための強制労働で抑圧され、極度の貧困と野蛮の退化の「どん底」へ不断に突き落とされているプロレタリアートは、マルクス主義の原則にもとづく思想上の結合が、数百万の勤労者を労働者階級の軍隊に融合させる組織の物質的統一によって固められることによってのみ、打ち破り難い勢力となることができるし、また必ずそうなるであろう』と
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