2023年2月25日 №522

2023年2月25日 №522

〈日米首脳会談の本質は何か〉


 古いアメリカに依拠した日本の自衛力や、日米同盟は今や沈む同盟であり、それは戦争と破綻の道である。外交と国防問題の根本は内政問題である。岸田政権は人民の要求や、歴史科学から離れ、いつか来た敗北の道を歩んでいる!

 

人類の未来はコミュニティを原理とする社会主義的共同体である。人類は宇宙科学同様、一つ一つ学びつつ着実に、法則に沿って前へ前へと進む。科学的原理に確信と信念を持つ!

 

 第211通常国会が、1月23日開会され、岸田文雄首相は衆参の本会議で、施政方針演説を行った。岸田首相の演説の本質、その骨格は、次の点にあった。

 第一に、24日付日本の各新聞が共通して1面トップで伝えた通り、それは「少子化対策」であった。とくに読売新聞は〝社会の維持、瀬戸際〟との見出しであった。全くその通りであり、日本は国家としてもう成立しなくなっている。未来を担う子供たちの減少は自民党政治の崩壊と破綻の象徴である。ここに現代資本主義の危機がある。

 第二に、その危機が防衛力の強化、なかでも膨大な軍事予算(5年間で43兆円)と、いわゆる反撃能力(敵基地攻撃能力)の確立、つまり戦争体制の準備である。憲法はないに等しい。今や無法状態である。

 すべては内政である。租税も国債も暴力的再収奪の手段である。人民の利益、民生を無視した軍事力や武力によって国家は守れない。岸田内閣の支持率の低下は当然である。

第三に、真の安全保障とは何か。日本人民の生活と権利・自由と民主主義・独立と平和を守りぬくことである。少子化問題は健全で人間的な生活が保障されず、未来に希望が持てない結果の産物である。

日本人民の未来はコミュニティ社会である。ここに内政があり、人民の生きる道がある。

国民皆兵のスイスを見よ。ロシア革命の直後、16ヵ国の外国干渉軍に打ち勝ったソビエト・ロシアを見よ。小国ベトナムが大国アメリカを追い払ったベトナム戦争を見よ。今、歴史がこのことを求めている。ファシズムでなく、人民の国家と政府である。

1月13日の日米首脳会談の本質もここにある。すべては関連したものである。

 

「日米 演出された蜜月」「会談、日本の強い希望」「共同記者会見も夕食会もなし」「首相は厚遇強調する?」との朝日新聞(1月15日付)の報道は首脳会談の現実をよく表している。岸田首相は騙され悔しがるのが落ちである。

 

〈冬晴れの日差しが注ぐ13日昼、バイデン大統領がホワイトハウスの正面玄関に姿を現わした。日の丸と星条旗を掲げた車から降りる岸田首相に笑顔で言葉をかけると、背中に左手をやり、建物へと導いた。

「大変手厚く親密な対応をして頂いた」。会談を終えた首相は記者団に成果を誇った。官邸幹部も「大統領自ら総理を出迎えるのは極めてまれ。厚遇して頂いたということを端的に表している」と強調した。

首相にとって悲願がかなった瞬間だった。……

岸田政権は昨年12月、バイデン氏に「公約」した方針に沿い、安保関連3文書を閣議決定する。これをバイデン氏に直接伝える重要な機会として、今回のワシントン訪問を位置づけていた。最終調整に当たった外務省の担当者は「今回実現できなかったら僕は辞める」とまで語っていた。

ただ、首相が言うように「厚遇」だったとは必ずしも言いがたい。昼食を含め約2時間の会談後、共同会見や夕食会はなかった。バイデン氏は地元デラウェア州に向けてホワイトハウスを発ち、その後の公務はなかった。

朝日新聞の調べによると、06年の第1次安倍政権の発足以降、国際会議の機会を除いて日本の首相が訪米し、首脳会談をしたのは13回。このうち首脳の共同会見や共同記者インタビューが確認出来ないのは今回で3回目だ。19年の安倍晋三元首相とトランプ前大統領の会談では共同会見はなかったが、ゴルフや非公式夕食会の機会があった。

今回の首脳会談は日本側の強い希望を受けて設定されたものだった。米専門家からは「バイデン氏には急いで岸田氏に会う理由がなかった」との声も上がる。バイデン氏は、自宅などから副大統領時代の機密文書が相次いで見つかった問題を抱え、会見が開かれれば、自身の問題に質問が集中する状況にもあった。〉

 これが今回の日米首脳会談に対するアメリカ側の姿勢であった。バイデン大統領の態度、ここに米国の内政が反映されている。

 


 

外交と国防上の問題はすべて内因論である。その歴史上の典型的事実は「ミュンヘン会談」にある。同盟や協定、日米共同声明などは、いつでも破棄されていく。今やアメリカは世界の警察官ではなく、「米国第一の国家」に転落した。

 

「ミュンヘン会談」(協定)とは何か。ここから出発しよう。

一九三八年九月、ドイツのミュンヘンにおいて、チェコスロバキアのズデーテン地方をナチス・ドイツに割譲することを決めたイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの四ヵ国会談のことである。

一九三三年、政権の座に就いたドイツ・ヒトラーの当面の目標はオーストリアとチェコスロバキアを併合することであった。三八年三月、オーストリアを併合したナチス・ドイツは同年九月、チェコに対して、国境を接し、ドイツ系住民の多いズデーテン地方の割譲を要求した。チェコはこれを拒否。事態の緊迫に驚いたイギリス首相・チェンバレンは調停を申し入れ、イタリアのムッソリーニ、イギリスのチェンバレン、フランスのダラディエ、ドイツのヒトラーの四ヵ国首脳によって開かれたのが、ミュンヘン会談(協定)である。会談は九月二九~三〇日に行なわれ、ズデーテン地方のドイツへの割譲が決定した。これはドイツの侵略に対する宥和政策の頂点となる出来事であったが、その時点では戦争の危険が回避され、チェンバレンは全世界から平和の使徒として評価されたが、翌三九年三月、ヒトラーが協定を破ってチェコに侵攻し、スロバキアを保護国としてしまい、ヒトラーに対する宥和政策はまったくの失敗であることが明らかとなった。一九三九年九月一日、ドイツ軍はポーランドへ進撃、第二次世界大戦はじまる。これがミュンヘン会談(協定)の顛末である。

以上のミュンヘン会談(協定)の歴史的事実は、この問題に関する次のような本質をわれわれに教えている。それはナチスとヒトラーというファシズムの本質とその侵略性(という内因、内政)が、ミュンヘン会談(協定)という外交上の取引(外因)を生み出したのである。そしてこの外交政策、外交上の取引、外交文書というものは、まったく鎧(よろい)をかくす衣であり、ナチスとヒトラーの侵略性(第二次世界大戦)のための隠れ蓑だった。歴史をみればこのようなことは山ほどある。現代では国連こそ〝会議は踊る〟最大の場所であることは戦争と国連の関係を見ればよくわかる。すべては内因論である。

アメリカが世界の警察官役であった時代に締結された同盟や条約はもう古い時代の産物である。日本で言えば日米安保条約である。決定的な事態には行動で無視されていく。ウクライナ戦争がそうであり、アフガン戦争からのあのみじめな撤退をみればわかる通りである。

この度の首脳会談でも、バイデン大統領は日本の安全保障に全面的に関与すると発言し、岸田首相は安心し、帰国したが、ここに駆け引きとその場しのぎの現代の「ミュンヘン会談」(協定)の本質がある。実際に戦争や内乱、暴動が勃発したなら、協定や口約束は簡単に投げ捨てられ、「米国第一」と力関係、帝国主義的本質のもとに処理されていく(ここに内因論がある)。現に先の項で紹介した朝日新聞が報道した通り、この度の首脳会談で、アメリカの日本に対する無礼な扱いを見ればわかる通りである。

真の安全保障は生活と権利・自由と民主主義・独立と平和である。歴史に学べ、とはこのことである。

 

国土と民族と祖国を守りぬいたスイスの歴史、ソビエト・ロシアの大祖国戦争、ベトナム戦争の巨大な教訓から、外交と国防問題は内政問題であることをよく知らねばならない。すべては内因論が決定する。

 

スイスの歴史を見てみよう。この国の特質は議会主義国家ではなくてコミュニティー国家なのである。そして国防の基本は国民皆兵で全国民が武装し、戦争に備えて人民戦争を構築しているのである。スイスの歴史と政治を調べてみればわかるとおり、この国の末端は部族共同体と村落共同体が基礎になっており、すべてはコミュニティーとして決定している。国家とはコミュニティーの連合体であり、スイスは連合体国家である。しかも国家の課題を解決するのは議会制ではなくて国民投票なのである。国家には確かに議会はある。しかしここには決定権はなく、いわゆる諮問機関的なものである。決定権はあくまで部族共同体と村落共同体の意志、つまりはコミュニティーである。これが直接民主主義であり、間接民主主義的な議員制ではない。

国防問題についてはどうなっているか。国防問題の大前提は自分の国土は自分で守るという基本理念に徹している。全国民が四十二歳までは兵役義務があり(婦人は志願制)、全家庭に兵器が保管され、定期的に軍事訓練がなされている。そして外国の侵略があった場合には、全国民が総武装して全国土をゲリラ基地にして国民戦争(人民戦争)で民族と国家と祖国を守り抜いていくということに徹している。

 

このスイスの体制は一八一五年、ナポレオン戦争後の欧州会議(ウイーン会議)の席上スイスの「永世中立宣言」として発表された。この体制が第一次世界大戦、第

 



二次世界大戦、あらゆる戦争の中でスイスを守りぬいたのであり、この内因(内政)に他国は手を出せなかったのである。

 

ソビエト・ロシアはどうであったか一九一七年十一月にロシアに社会主義政権が成立した。これに驚いた資本主義陣営は、一九一八年になるや西方からは英仏を中心に、東方からは日米を中心に、合計世界中の一六カ国の軍隊がいっせいに若い社会主義国に攻め込んだ。これに合わせて国内では旧ロシア皇帝時代の将軍が各地で反乱を起こし、一九二二年までの五年間にわたる外国干渉軍と国内反乱軍との死に物狂いの戦争が展開され、ソビエト社会主義は千二百万人の犠牲を払って勝利した。歴史上ありえないこのような過酷な戦争を戦い抜き勝利した。その力は社会主義祖国を守れ、という人民の強固な意志と国民総動員による人民戦争であり、人民大衆の英雄主義にあった。

ベトナム戦争とは何であったか。一九六二年から七三年まで十年間にもわたるこの戦争は、ベトナム人民のアメリカ帝国主義に対する正義の民族解放戦争であった。世界最強のアメリカは三百万の兵力を動員。第二次世界大戦に使用した爆弾の使用量六百十万トンを超えて千四百万トンに達し、原爆以外のあらゆる化学兵器を総動員し、非人道的な枯葉剤の使用で山や森や林を焼き尽くし、すべての川を汚染させ、戦後多くの死産、先天性奇形児を生み出したとおり、誠にこの戦争は悲惨の極みであった。ベトナムの戦死者三百万、民間人は四百万人の犠牲者を出して勝利した。その力はどこにあったのか。それは民族解放と祖国の統一、国土防衛に徹したベトナム人民の強固な民族愛と祖国愛であった。これが内因なのである。

歴史は科学であり、歴史の法則も科学である。この歴史を科学として学ぶのが賢者である。これに反して「愚者は経験から学ぶ」という。つまり、愚かな者は狭い自分の経験だけから学ぶことしか知らない。そして歴史は愚者が国を滅ぼしてしまったことを教えている。そして歴史は必ず賢者によって到達すべきところに到達させていくであろう。歴史の到達点は発達した近代的コミュニティーの世界である。人類の歴史はこの必然性に向かって、いくつかの偶然性を通じて到達するであろう。これが歴史科学である。

 

結び

 

われわれはすべてを哲学・歴史科学的世界観に徹するよう呼びかける。われわれの一貫した訴えは次のようなスローガンである。

 ①人類とその社会は永遠の過去から永遠の未来に向かって運動し、発展し、爆発し、収れんされつつ前進していく。そのエネルギーは人間の生きる力であり、その物質的表現としての生産力である。

 ②生産力の発展がその度合いに応じて生産関係としての人類社会(国家)を作り出していった。それは最初の原始共同体、次の奴隷制、封建制、資本主義制、そして社会主義へと一貫して生産力の発展が生産関係(国家)を変化させていった。これからもそうなる。

 

 

  ③物理学が証明しているとおり、すべての生物は環境が作り出していく。人類もまた環境の産物であり、進化していった。環境が人間を変えていく。新しい環境と新しい社会は新しい型の人間を作り出していく。

④人類の歴史を見ればわかるとおり、一つの支配権力、一つの国家形態が永遠であったことは一度もない。歴史は常に運動し、変化し、発展し、転換して次々と新しい時代を作り出していった。そして歴史を見ればわかるとおり、変化は静かで一直線ではない。爆発と収れんは歴史法則である。歴史は前を目指すが、その過程では常に偶然が伴う。偶然は必然のための産物であり、偶然は必然のための糧である。そして必然の世界とは人民の人民による人民のための世界であり、より高度に発展したコミュニティー社会である。歴史は到達すべきところに必ず到達する。

 

 ⑤コミュニティーとは何か。人民の人民による人民のための世界とは何か。それは国家、社会、生産活動の運営目的を、最大限の利益と利潤追求のみに注ぐのではなく、すべてを人民の生活と文化水準と社会環境の安心・安全・安定のために注ぐ。 

⑥生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の国家と社会ではなく、人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生の国家と社会にする。

 ⑦金と物がすべてではなく、人間の心と自然の豊かさが第一であり、姿や形だけの美しさではなく、働く人びとの生きる姿と心の美しさが第一であり、一人だけで急いで先に進むのではなく、遅くてもみんなが一緒に進む。

 ⑧人類とその社会は生まれたときから環境の産物であり、歴史的なものであった。環境が変われば人類とその社会も変わる。国家と権力が変われば人類社会は変わる。

 ⑨そのための力こそ、すべてを人民のための・人民による・人民権力であり、その具体的表現たる人民評議会である。運動と闘いの中でいたるところに評議会を組織せよ。人民の要求、人民の意志としてここで主張する。そして権力として、歴史時代が求める自らの責任と任務を執行させる。

 ⑩人類が最初にはじめてつくった社会は、原始的ではあったが、そこにはまさに共同と共生と連帯の人間的社会があった。そしていくたの回り道をしたが、その間により大きくなってもとに帰る。つまりより高度に発達した近代的コミュニティー国家と社会へ。ここから本当の人間社会、人民の社会が生まれる。こうして人類は総力をあげて大宇宙との闘い、新しい闘い、宇宙の開発と開拓の闘いに進軍するであろう。

 

                                   

(以上)