2022年6月25日 №514

2022年5月25日 №513

2022年度革命英雄記念祭開かる


革命英雄記念碑は日本革命運動の歴史の証言であり、革命的伝統のシンボルであり、声明を共にする革命集団の誓いの旗印である!

 

去る四月十日、歴史上の大弾圧事件 315」「4.16」を記念し、日本共産党(行動派)中央委員会主催『二〇二二年度革命英雄記念祭』が、八王子・英雄記念碑の建つ東京霊園にて、森久議長のもと、行動派党の代表、人民戦線の代表、ご遺族の代表が出席し、厳粛かつ盛大に開催されました。なお、今年度の記念祭は、広島の行動派党草創期以来の古参幹部である故・川村秀宗入魂式と合わせて執り行われました。司会進行は政治局員小林武治。

 「第一部・記念式典」は、未だコロナ禍でもあり、恒例の「赤旗の歌」合唱は省略され、故川村秀宗入魂式が厳粛に執り行われ、略歴紹介の後、森久議長の手によって記念碑への納骨が行われました。そして、記念碑に眠る大武礼一郎をはじめとする五三名の革命英雄全名簿が奉読され、一同厳粛なる黙祷を捧げました。引き続いて、平岡惠子政治局員が、歴史科学を信じて光栄ある生涯を送った革命英雄をたたえ、「ウクライナ戦争」など今年の英雄記念祭を取り巻く歴史時代について語った式辞を読み上げました(本紙1面に全文紹介)。次に、森久議長の力強い記念挨拶があり、参加者一同より万雷の拍手が送られました。最後に、「誓いの言葉」を北野勇政治局員の音頭で全員が声高らかに唱和しました。記念式典を終えるに当たり、出席者全員が献花し、こうして第一部は厳粛な雰囲気の中で滞りなく終了しました。

 第二部は、場所を代え、交流懇親会が催され、遺族を代表して故大武礼一郎夫人・恵藤明子さんが挨拶され、懐かしい想い出が語られ、和気あいあいの親睦会となりました。

 第一部(記念式典・川村入魂式)、第二部(交流懇親会)を通じて、わが行動派党は前衛集団であり、森久議長のもと団結し、統一し、 助け合う一大家族の集団であることをあらためて証明しました。

 

 

〈2022年度・革命英雄記念祭・式辞〉

 革命の英雄たちを祭るのは、革命的情熱の源泉であり、生きている者たちの義務と責任であり、人間としての生き様である!

   日本共産党(行動派)中央委員会・政治局員

 

                 書記長 平岡 恵子

 

本日の『2022年度革命英雄記念祭』に、コロナ禍にもかかわらず、ご出席くださった、ご遺族の皆さん、行動派党の党員の皆さんに、心からの敬意と、御礼を申しあげます。ありがとうございます。

行動派党の創立者であり、われわれのもっとも尊敬する大武礼一郎議長が2019年3月31日永眠され、早3年。この間、コロナ禍に制限され、3年ぶりに開催される英雄記念祭であります。主催者として大変うれしく思っています。

皆さんの前に、気高くもそびえ立っているこの革命英雄記念碑は、日本革命運動の歴史の証言であり、革命的伝統のシンボルであり、生命を共にする革命集団の誓いの旗印であります。

ご出席の皆さん

 

英雄記念祭を開催するに当たり、中央委員会を代表し、本年度の式辞を申しあげます。

 

 


 ウクライナ戦争について! 

 

クライナ戦争は重大な局面を迎えています。ロシアの全面侵攻はすでに失敗し、東部や南部の支配地域の拡大に戦略転換を余儀なくされています。

ロシアの「集団虐殺」や「戦争犯罪」などが話題となっていますが、戦争の歴史を見ればわかる通り、別に珍しいことではない。それは戦争の常であり、本質であります。アメリカの広島や長崎への原爆を投下が証明しています。

今度の戦争はウクライナを舞台とした帝国主義戦争であります。しかしロシアも混迷しており、米欧も兵器の供与や経済支援を強調していますが、アメリカが力を失い、世界に決定的力をもった国家も勢力も不在であり、むしろG20が機能不全に陥った通り、世界は分断されたままであります。

ロシアはもちろんアメリカや、資本主義は、ウクライナ戦争を通じて、ますます力を喪失させていくでしょう。歴史は戦争のない新しい時代を求めており、この戦争はその起爆剤となるでしょう。一番犠牲を被っているのはウクライナ民族であります。

民族の解放と人民の勝利は、民族の自決権にもとづく連邦制以外にはないのであります。スターリン時代の連邦制とソビエト社会主義が証明している通りです。その歴史上の経験は社会主義を目指す運動と結びついたロシア革命、ソビエト・ロシアの外国武力干渉軍と国内戦の戦いであります。ここに民族と人民の未来があります。

第一次世界大戦の結果が生み出した最大の歴史的事件は、ロシアにおけるツァー帝政の崩壊と、ソビエト・ロシアの樹立でした。ロシア革命の世界への波及を恐れた資本主義諸国は、成立したばかりの若いソビエト・ロシアに四方八方からいっせいに襲いかかりました。1917年10月にソビエト・ロシアが成立。1918年には英・仏が東北方面から進攻。日本と米国は夏からシベリアに出兵。1922年まで世界中の帝国主義と資本主義国合計16ヶ国が干渉軍を編成して帝国主義戦争を仕掛けてきました。旧帝政時代の将軍たちも、各地で反乱を起こし、人類史における帝国主義戦争でこれほどの過酷な戦争はなかった、と言われています。ソビエトは生まれたばかりの若い国であり、しかもツァーが起こしたドイツとの戦争は敗北を重ね、国土は荒廃し、兵士は疲れ果てていました。そこに外国軍と国内反乱軍との戦争でした。それでも1920年には、主要都市でソビエトの勝利に終わりました(日本軍だけは1922年まで残った)

ソビエト共産党第10回大会は1921年3月8日にモスクワで開かれ、帝国主義との戦争の勝利と、新しい経済政策(ネップ)への移行を決定。プロレタリア革命(人民革命)の偉大な勝利をたたえました。10回大会は帝国主義との戦いの勝利として次のことを確認しました。

第一、プロレタリア革命と人民の権力、社会主義祖国を断固として守り抜くという人民の思想上の強固さ。 第二、社会主義の祖国、ソビエト・ロシアは国際プロレタリアートの根拠地であり、これを守り抜くことの国際的意義、その自覚と責任感。第三、レーニンとソビエト共産党の呼びかけに応えた若き青年男女総決起。第四、インタナショナルに結集した国際統一戦線の支援と協力。第五、戦時共産主義体制の実施に代表される、レーニンとボリシェビキ党の断固たる決意、正確な指導力、でした。

なお大会では、この戦争の犠牲者は兵士と民間人を合わせて1200万人に上ったことが報告されました。この事実こそ、帝国主義と帝国主義戦争に勝利するための人民闘争・人民戦線・人民権力のモデルでした。

 以上であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「3・15」、「4・16」を記念して、毎年1回革命英雄記念祭を挙行する意義について!

 

 さて皆さん、わが党は中央の決定として、毎年4月に革命英雄記念祭を挙行しています。それは、わが党の歴史上、敵ブルジョア権力が日本共産党に加えた最大の弾圧たる「3・15」と「4・16」の両事件を記念しつつ、この凶暴な弾圧にもかかわらず、わが党は不滅であり、歴史が前進し、民主主義と社会主義は必然であるという確信を内外に宣言するため、そして党の革命的伝統をたたえ、革命の英雄たちをたたえ、いっそう団結して革命運動を推しすすめるため、偉大な革命の党を建設せんがため、このために、毎年4月に記念祭を開催しているのであります。

「3・15」とは何か。1928年(昭和3年)の3月15日、日本政府は全国の検事局を総動員して日本共産党に襲いかかったのであります。この日全国的に共産党員の家、共産党の事務所、また共産党の支持・協力者の家が急襲され、合計1600人余の人びとが逮捕・投獄されました。それは歴史上最大の弾圧であり、最大の逮捕者でした。

 翌年の1929年(昭和4年)4月16日に、再び日本政府は検事局を動員、日本共産党に襲いかかり、825名の大量の共産党員を投獄・起訴したのであります。

 この2つの大弾圧によって、日本共産党はその指導部を全部失ってしまい、指導部は獄中にあり、1945年に日本帝国主義が第二次世界大戦に敗れ、徳田球一が18年の獄中から出獄して党を再組織するまで、個々の党員は指導部なしにバラバラの闘争をしなければならなかったという、そのような大弾圧だったのであります。

「3・15」と「4・16」の本質と教訓の最大のものこそ、マルクス・レーニン主義は不滅であり、日本共産党は不滅であり、革命運動と階級闘争は不敗であり、民主主義と社会主義の勝利は歴史の必然である、ということであります。

 日本共産党は、獄中18年の苦闘を通じて鍛えられ、1945年には再び、再組織された日本共産党として人民闘争の先頭に立つに至りました。

 日本共産党は徳田球一の死後、宮本修正主義によって党中央が毒されてしまいましたが、やがて党は行動派の党として1980年7月15日に再建されました。わが党は弾圧という外からの攻撃にも負けず、また修正主義の支配という中からの攻撃にも負けず、ここに立派に生き続けています。

 労働者階級と階級闘争、そして共産党は、弾圧によってつぶれはしない。逆に弾圧によって党は鍛えられ、訓練され、訓練の中からたくましく成長、前進、発展するのであります。

 


 皆さん! 

 生あるものはいつかは死す。だが、人類社会とこの宇宙は無限に発展していくのです。人類社会は過去から現代へと同じように、未来に向かって前進する。未来は共産主義のものであり、この道への前進は闘争が切り開いていく。われわれは永遠に生き抜くことができる偉大で光栄ある生涯としてのこの道を進もう。こうしてのみ、徳田球一、渡辺政之輔、市川正一と共に、われわれもまた永遠に不滅であります。

 

革命英雄記念碑の碑誌にささげるわれわれの誓い!

 

皆さん! この革命英雄記念碑を仰ぎ見る度にぜひ『碑誌』を繰り返し、お読みいただきたい。そしてその度に、三賢人や、入魂者の姿を思い出していただきたい。英雄記念碑の建立者である大武礼一郎議長は、碑誌で次のように言っています。

 『日本共産党の創立者・徳田球一、そして日本共産党の革命的行動派として、草創期の党をみちびいた徳田球一、渡辺政之輔、市川正一の三賢人がここに眠る。

 また三賢人と共に闘った人びと、三賢人がのこした偉大な革命的伝統を復活させて再建された日本共産党(行動派)、この偉大な党と共に闘った人びと、すなわち日本革命に身を捧げた偉大な共産主義者と革命的行動派の英雄たちがここに眠る。

 われわれは歴史を尊重しなければならない。革命運動は永遠の過去から永遠の未来に向かって前進し発展しつづける巨大な流れである。そして人間は歴史的条件が成熟して提起された問題だけを解決する。歴史的条件の成熟していない問題や、歴史的な制約のある問題を解決することは不可能である。そしてまた歴史的に未解決のこの問題を解決するものこそ党と革命の後継者でなければならない。

 われわれはこのような偉大で光栄ある後継者がはたさなければならない任務に全力をあげ、力を合わせて実現しようではないか。歴史が与えたこの問題に対するわれわれの姿勢は感謝であり、これを実現することへの誇りであり、必ず勝利するということへの不動の確信と信念である。

 先人と後人をふくめてわが革命集団は、闘う集団であり、一大家族の集団である。わが一大家族はこの革命英雄記念碑のもと、永遠に一体である。

 わが旗じるし革命英雄記念碑万歳! 大武礼一郎』

以上であります。