2022年5月25日 №513

2022年6月25日 №514

《独ソ戦争の科学的考察について》


 

 ソビエト国家制度の優越性、多民族国家と連邦制(共同体)、偉大なスターリンの存在と指導力、ここに独ソ戦勝利の根本思想(原動力)があった!

 

第二次世界大戦を反ファシズム解放戦争に転換させた力は、2700万人の犠牲を甘受し、戦い抜いた独ソ戦の勝利にあった。英米仏の西部戦線を実現させたのは東部戦線における独ソ戦が梃子となったのである!

 

5月9日、独ソ戦の戦勝記念日、ウクライナ戦争のさなか、プーチンは何を語るか、世界は注目した。承知の通り、それはずさんで、事実に反する非科学的なものであり、2700万人もの犠牲を払いながら戦い取った英雄的独ソ戦を冒涜するものであった。

 独ソ戦はけっしてプーチンのものではない。それはソビエト社会主義のものであり、スターリンものであり、反ファシズム解放戦争として戦った歴史と全世界人民のものである。プーチンの帝国主義的盗人(論調)を許してはならない。ウクライナ戦争を見ればわかる通り、すでにプーチンは歴史によって糾弾されている。

 それにもかかわらず独ソ戦とは何か、その本質は何か、多くの人々、先進的知識人の中でさえはっきりしていない。その結果、プーチンの侵略性や、独裁論を語るとき、その根底には社会主義や、「スターリン独裁」の延長戦であるかの如く主張する、論調が何と多いことか。

そこで、われわれも独ソ戦とは何か、その核心を、ここで論じ、提起することとする。歴史的に、科学的に、独ソ戦を論じた文献があまりにも少ない、皆無と言ってもよい。ここに現代の歴史時代がある。つまり、1953年、スターリンが死亡、フルシチョフが「スターリン批判」を展開、登場するや、輝かしいあのレーニン・スターリンの社会主義が姿を消してしまった。最近のロシア映画でも明らかにされたが、1962年、フルシチョフ政権下で暴動が発生し、軍隊が鎮圧する大事件が起きた。いわば中国の「天安門事件」である。

 歴史は今、新しいレーニン・スターリンの社会主義、さらに成長発展した社会主義の再建が求められている。新しい現代の歴史時代が、マルクス主義の復興、社会主義の再建を迫っているのである。過去の歴史がそうであったように、一か所に止まってはいない。つまり資本主義は崩壊し、社会主義は学び、大きくなって前進する。歴史は科学法則に従って共同体へ、コミュニティ社会へと変化し発展する。その梃子、爆発が戦争を求める現代資本主義の危機である。その実例こそウクライナを舞台とした帝国主義戦争である。

歴史は前へ前へと進む。歴史科学は偉大である。独ソ戦争の真実とは何か。今一度学びたい。  

 

世界が戦争に向かっている時、スターリンはそれに備え、党大会を開催、対外政策、すなわち国内の準備を整えた。外交は内政(哲学的内因論)問題であることをよく知っていた。

 

 一九二九年の後半に資本主義諸国を襲った経済恐慌は一九三三年まで続いた。その後産業の低下は止み、恐慌は停滞期に入り、その後経済は幾分かは活気を取り戻した。し

 


 かし一九三七年の末にはアメリカの失業者は一千万人に達した。この事態は帝国主義諸国家間の矛盾をますます激化させていった。その結果防衛力の弱い民族と国家を犠牲にして、他国を侵略することによって、自国の経済危機を乗り越えようとする。侵略国の欲望をますます強化させていった。すなわち帝国主義戦争の開始を必然的にしていったのである。

 こうした、独・伊・日という三国を柱とするファシズム同盟国と、米・英・仏を柱とする連合国、この二つの陣営に分かれて、戦争の準備は開始されたのである。

 もうすでに戦争は発火点に達していた。それはいかなる戦争なのか。第一次世界大戦と同じように、今度の戦争もまたその発生の要因から言えば明らかに帝国主義戦争であり、世界の再分割をめぐる帝国主義陣営内の二つのグループの対立と抗争である。一方の側における英・仏・米を中心にした旧勢力。一方の側に独・伊・日を中心にした新勢力。この二つの陣営による資源と領土の争奪戦である。

 この事態に対してスターリンとソビエトはいかに対処したのか。新たな国際情勢の発展に備え、党と政府、国家、人民は準備を整えたのである。

 ソビエト共産党は一九三九年三月十日、第十八回党大会を開催、ここで対外政策の基本方針を確定した。

この日、スターリンは一般報告を行ったが、この演説のなかでソビエトの外交政策について、次のように規定した(スターリンはこの演説のはじめに、帝国主義諸国の戦争政策を大胆に暴露し、ファシズムの侵略計画を暴露し、世界人民の闘争を激励した後で、ソビエトの対外政策を次のようにまとめた)。

ソビエト連邦の対外政策は、明白で、かつ明瞭である。

⑴われわれは、平和と、あらゆる国との実務的関係の強化とを固守する。他の諸国がソビエト連邦とこのような関係を維持し、わが国の利益を侵さない限り、われわれはこの立場を守り通すであろう。

 ⑵われわれはソビエトと国境を接しているすべての隣接諸国との、平和で親密な善隣関係を固守する。これらの国がソビエト連邦とこのような関係を維持し、直接にせよ、間接にせよ、ソビエト国家の保全と不可侵の利益をおかそうとしないかぎり、われわれはこの立場を守り通すであろう。

 ⑶われわれは、侵略の犠牲となって、祖国の独立のために闘っている諸民族を、支持する立場に立つ。

 ⑷われわれは、侵略者の脅迫を恐れず、ソビエト国境の不可侵性を侵そうとする戦争挑発者の打撃に対しては、二倍の打撃をもって応える用意がある。

ソビエト連邦は、その対外政策において、次のような基礎の上に立っている。

⑴発展しつつある経済的・政治的・文化的な力。

⑵わがソビエト社会の精神的、政治的統一。

⑶わが国の諸民族の友好。

⑷赤色陸軍と赤色海軍。

⑸わが平和政策。

⑹平和の維持に切実な関心を持っている万国の勤労者の精神的支持。

⑺何らかの理由で平和をかき乱すことをのぞまない国々の理知。

 以上である。

 対外政策の分野における党の任務は、次の通り。

⑴平和政策および、すべての国との実務的関係の強化の政策を、今後とも推し進めること。

⑵用心をおこたらないこと。そして、他人に火中の栗をひろわせることになれている戦争挑発者が、わが国を紛争の渦中に引きずり込むのを許さないこと。

⑶わが赤色陸軍および赤色海軍の戦闘力を、手段を尽くして強化すること。

⑷諸国民間の平和と友好に関心を持っている、万国の勤労者との国際親善関係を強めること。

 

 以上であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



右がソビエト共産党第十八回大会におけるスターリンの一般報告が明らかにしたその対外政策の基本方針(戦略方針)であった。

 

反ファシズム解放戦争(第二次世界大戦)の勝利の結果、ファシズムは二度と再び立ち上がれなくなった。反対に社会主義は国際的規模へと拡大されていった。

 

一九三九年九月一日、ドイツ軍はいっせいにポーランドに進撃した。即日英・仏は総動員令を下した。そして九月三日、英・仏はドイツに宣戦布告、ここに第二次世界大戦・帝国主義戦争がはじまった。二匹のオオカミの殺し合いは始まった。その間、われわれは何をすべきか。自己を準備すること。革命を準備すること。帝国主義戦争の内乱への転化を準備することであった。

やがて今度は一九四一年六月二十二日、ドイツは三〇〇万の陸・空軍を動員して突如ソビエト領への進撃を始めた。独・ソ戦の開戦である。

かくして第二次世界大戦も第一次大戦と同様、同盟国と連合国による二大陣営にわかれた帝国主義戦争として開始されたのであった。それはまさしく帝国主義の不均等発展にもとづく植民地再分割のための戦争であった。だが、第一次と第二次の二つの戦争は、全く同じものではなかった。第二次世界大戦は、その始まりは植民地再分割のためのものであったが、戦争全体を貫く性格は明らかに「反ファシズム解放戦争」であった。

独ソ戦と第二次世界大戦の客観的事実、何よりも実際に独ソ戦を闘った指導者スターリンに聞いてみよう。そうすればよく分かるはずである。

 

スターリン『モスクワ市の選挙集会における演説』(一九四六年二月九日)

 

 『第二次世界大戦は、その性格からみて第一次世界大戦とは本質的に違っている。念頭に置かねばならないことは、主要な戦争仕掛け人たるファシスト国家―ドイツ、日本、イタリアは、連合国におそいかかる前に、自国のブルジョア民主主義的自由の最後の一片までも絶滅し、国内に残酷なテロル支配を確立し、小国の主権と自由な発展との原則を踏みにじり、他国の土地を強奪する政策を自分の特有の政策であると宣言し、自分たちは世界支配と全世界にわたるファシスト制度の拡張とを勝ち取ろうとしているのだ、と公然と声明し、しかもチェコスロバキアと中国の中部地方を強奪することによってファシスト同盟諸国は自分たちがあらゆる自由愛好国民を奴隷化する脅威をまさに実現しようとしていることを示した、ということである。この点から見て、ファシスト同盟国に対する連合国による第二次世界大戦は、第一次世界大戦とは違って、それは反ファシスト解放の性格をおびたのであって、民主主義的自由の回復もまたその任務の一つであった。この戦争にソビエト連邦国家が参加したことは、第二次世界大戦の反ファシスト的、解放的性格を強めざるを得なかったし、また実際にそれを強めたのである。まさに、このことを基盤にして、ソビエト、アメリカ、イギリス、フランス、その他のファシストに反対する諸国による反ファシスト連合戦線が形成されたのであって、この連合戦線がのちにファシスト同盟国の武装力を粉砕するうえで決定的な役割を果たしたのである。第二次世界大戦の起源と性格の問題は以上のとおりである』〈『スターリン戦後著作集』(大月書店)〉

   


  第二次世界大戦の総結果はどうであったか。帝国主義とファシズムの三大国、ドイツ、日本、イタリア、は敗北して再びファシストとして立ち上がることは不可能なまでになった。勝利したイギリスとフランスにしても、国は荒れ、疲弊して昔日の面影はなくなってしまった。「日没することを知らぬ老大国」イギリスも、多くの植民地は民族的自覚のもとに独立して植民地を失ってしまった。フランスも同様であった。ただアメリカ合衆国だけが生き残った。

 

 そして第二次世界大戦の最大の特質は、この戦争の結果、東ヨーロッパ八カ国(ブルガリア、ユーゴスラビア、アルバニア、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、東ドイツ)に人民民主主義革命が勝利したこと。そして中国大陸にも民主主義革命が勝利し、朝鮮とインドシナ大陸にも人民革命が勝利した。こうして社会主義は、第一次世界大戦後のロシア一国から急速に拡大し、中国大陸(八億の人口)とソビエト大陸(二・五億の人口)を合わせ、地球上における総人口(四十億)の三分の一、面積にして四分の一において勝利し、ここに資本主義に対抗する社会主義圏を形成するに至った。社会主義は空想ではなく、現実のものとなり、全世界のプロレタリアートに勇気と確信を与えた。国際労働運動は一段と前進し、このことが植民地、従属国の民族運動を刺激した。第二次大戦後、澎湃として起こった民族独立運動と、アジア・アフリカにおける諸民族の独立達成は、根本的には偉大な社会主義の出現、民主主義革命の出現、プロレタリアートの階級闘争の産物であり、その成果であった。

 

 

 

ソビエト国家制度の優越性を見よ。資本主義諸国は「カルタの家」と揶揄し、すぐに潰れると言っていたが、ソビエトは逆に強大となった。ソビエト社会制度は偉大であった。

 

 

 

スターリンはまた一九四六年同じ二月の演説で、第二次世界大戦を総括して次のように語った。

『戦争は災難であっただけではない。戦争はそれと同時に、国民の総力を試練し、点検する偉大な学校であった。戦争は、銃後でも前線でもいっさいの事実と事件を明るみに出し、色々の国家や政府や政党の正体を隠していたあらゆるおおいや外被を情け容赦なく剥ぎ取り、仮面をつけずに、ありのままに、短所も長所も洗いざらいにして、それらを登場させた。戦争は、わがソビエト体制、わが国家、わが政府、わが共産党にとっては試験のようなものであった。戦争はこれらのものの活動を総決算して、あたかもわれわれにこう言ったようであった。さあ、これが諸君の働き手と組織、その事業と生活だ、――入念に調べて功績に応じて報いたまえ、と。ここに戦争の積極的な面があった。

 それでは戦争の総結果はどうであったか。

 ソビエトは歴史の試練に応え、よく健闘した。われわれとわれわれの同盟国は勝利者となった。われわれは敵に対する完全な勝利をもって戦争を終えた。――ここに戦争の最も重要な結果がある。だが、これはあまりに一般的な結果であって、われわれはこれで終わりにするわけにはいかない。もちろん、第二次世界大戦のように、これまで人類の歴史になかったような戦争で敵を打ち破るということは、世界史的な勝利を得ることを意味する。これはその通りである。それにしてもやはり、これは一般的な結果であって、われわれはこれで安心するわけにはいかない。われわれの勝利の偉大な歴史的意義を理解するには、この問題をもっと具体的に検討しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 それでは、敵に対するわれわれの勝利は、どう理解すべきであろうか。わが国の内部的力の状態および発展という見地からみて、この勝利はいったい何を意味するであろうか。

 われわれの勝利は、まず第一に、わがソビエト国家制度が勝利し、ソビエト社会制度が戦火の試練に立派に耐え抜き、自分の十分な生活能力を証明したことを意味する。

 周知のように、外国の新聞は、ソビエト社会制度が失敗の運命にある「危険な実験」であり、ソビエト制度が実生活の中に根を張っていない、チェカ〔「反革命・サボタージュ・投機撲滅非常委員会」(一九一七年―二一年)〕の機関が人民におしつけた「カルタの家」であって、そとからちょっと押しただけでこの「カルタの家」はちりぢりに崩れてしまうだろうと、たびたび断言したものである。

今われわれは、戦争が外国新聞のこうした断言を、すべて根拠のないものとしてくつがえした。戦争は、ソビエト社会制度が人民の中から成長してきて、人民の強力な支持を受けている真に人民的な制度であること、ソビエト社会制度が十分生活能力のある強固な社会組織形態であることを示した。

それだけではない。今では、問題はソビエト社会制度に生活能力があるかどうかということではない。というのは、一目瞭然たる戦争の教訓があるので、どんな懐疑家ももはやソビエト社会制度の生活能力についてあえて疑問を持ち出しはしないからである。今問題なのは、ソビエト社会制度が非ソビエト的社会制度よりもずっと生活能力があり、強固であること、ソビエト社会制度がどんな非ソビエト的社会制度よりも優れた社会組織形態である、ということである。

 

ソビエト社会制度の進歩性、人民(国民)の一体感、多民族国家・ソビエト連邦制度の団結は資本主義諸国を圧倒した

 

われわれの勝利は、第二に、わがソビエト国家制度が勝利し、わが多民族ソビエト国家が、戦争のあらゆる試練に耐えぬき、自分の生活能力の高さを証明したことを意味している。

周知のように、有名な外国のジャーナリストは、ソビエト多民族国家が「人為的な、非現実的なもの」であり、何か紛糾のある場合にはソ連邦の瓦解は避けられず、ソ連邦はオーストリア=ハンガリーと同じ運命をたどるだろうという意味のことを、度々述べたものである。

今われわれは、戦争が外国新聞のこれらの言明を、何の根拠もないものとして論破してしまったということ。戦争は、ソビエト多民族国家が立派に試練に耐えぬき、戦時中にさらにいっそう強くなり、十分に生活能力のある国家制度であった、ということをしめした。この紳士諸君は、オーストリア=ハンガリーとの類比が根拠のないことを理解しなかったのである。というのは、わが多民族国家は、民族的不信と民族的敵意の感情を掻き立てるブルジョア的基礎の上に成長したのではなく、反対にわが国家の諸民族の友愛と兄弟のような協力の感情を培(つちか)うソビエト的基礎の上に成長したものである。

 


 われわれの勝利は、第三に、ソビエト武装力が勝利し、わが赤軍が勝利し、赤軍が英雄的に戦争のあらゆる不幸に耐え抜き、われわれの敵の軍隊を壊滅させ、勝利者として戦争を終えたということを意味している。

戦争は、赤軍が「粘土の足をした巨人」ではなく、完全に現代的な装備ときわめて経験に富んだ指揮官と高度の士気と戦闘力を備えた現代第一級の軍隊であることを示した。赤軍が、昨日までヨーロッパ諸国の軍隊を恐怖させていたドイツ軍を壊滅した当の軍隊であることを忘れてはならない。

 赤軍「批判者」がますます少なくなっていることを指摘しなければならない。それだけではない。外国の新聞は、赤軍の高い資質、その戦士と指揮官の手腕、その戦略・戦術に非のうちようがないことを指摘する記事がますますしばしば表れている。モスクワとスターリングラード、クールスクとベルゴロド、キエフとキーロボグラード、ミンスクとボブルーイスク、レニングラードとタリン、ヤッスイとリボフ、ビスラ河とニーメン河、ドナウ河とオーデル河、ウィーンとベルリンにおける輝かしい勝利があったからには――すべてこうしたことがあったからには、赤軍がそれから多くのことを学び得るところの第一級の軍隊であることを認めないわけにはいかないのである。

 具体的には、われわれはわが国の敵に対する勝利をこのように理解している。以上が、だいたいにおいて戦争の総結果である。』(同)

 反ファシズム解放戦争の大勝利と、全世界的規模にわたる社会主義の勝利、これこそスターリン的社会主義の勝利であった。

 

結 語

▼ロシア十月社会主義革命の勝利と共産主義インタナショナル、外国干渉軍と国内反乱軍とに対する国内戦の勝利、非常時における戦時共産主義と新しい時代における新経済政策(ネップ)の実施、共産主義土曜労働と社会主義的民族統一政策、これがレーニンの社会主義であった。

 ▼そして、社会主義建設五か年計画の実施とスタハノフ運動、共産主義的仕事のスタイルとしてのロシア的革命精神とアメリカ的実務能力の結合、反ファシズム解放戦争の勝利と社会主義の国際的規模(全世界十一か国、地球上の四分の一、世界人口の三分の一)への拡大と勝利にもとづくコミンフォルムの創設、これがスターリンの社会主義であった。

 ▼レーニン、スターリンの社会主義は誠に偉大であった。

 正統マルクス主義の理論に導かれた真の社会主義、これこそレーニン、スターリンの社会主義であり、レーニン、スターリンの党が指導した社会主義である。

▼マルクス主義の理論上の原則は不滅であり、真理であり、このような原則を堅持する党はレーニン、スターリンの社会主義、真の社会主義を再びこの地球上に復興させるであろう。

◎レーニン、スターリンの社会主義万歳!